大阪市所有の帆船「あこがれ」の航海イベントに参加し、7/2~7/10まで8泊9日の四国一周の船旅に出かけてきた。
船旅といっても、帆船を動かすための操船技術のいろはのトレーニングを受けながらの訓練生としての乗船であり、豪華客船の乗客としてではない。
ただ今回の航海は、塩飽本島と足摺港に寄港することもあって、小生には訓練航海以外に、歴史的に日本海運の人材を輩出し続けた塩飽諸島とその海域を再確認することと、幕末日本の開国に大きな貢献をしたジョン万次郎の故郷、土佐清水を初めて訪ねその足跡を満喫することが大きな目玉。
その意味では、実り大きな航海だった。
実際の航海日程は以下の通り
7/2(土) 1400大阪南港出港 夕方、神戸港外仮泊
7/3(日) 朝、神戸港外抜錨、明石海峡-->小豆島-->瀬戸大橋
-->夕方、塩飽諸島牛島沖泊
7/4(月) 塩飽本島見学
7/5(火) 朝、抜錨、 来島海峡通過
7/6(水) 早水瀬戸(愛媛県と九州の間)-->豊後水道-->足摺岬
-->午後、足摺港入港
7/7(木) 土佐清水・以布利・足摺など現地見学
7/8(金) 朝、足摺港出港
7/9(土) 室戸岬沖-->紀伊水道-->関空沖仮泊
7/10(日)昼、抜錨 1530大阪南港着 1600解散
一緒に航海した方々は、
訓練生 14人
特別講師 1人(7/4まで)
ボランティア6人
クルー 10人
計 31人
訓練生は一番若い学生21歳を別とすれば、80歳代2名を含め、50歳以上が殆どを占めるという驚くべき人員構成。参加は関西が9名、関東4名、東北1名で、ヨットマンやあこがれのリピータも結構いて、操船経験者は多い。
募集35名に対し応募は半分以下であったが、今の時節と航海日程の長さが影響していると思われる。
ボランティアは、あこがれ独特の制度で、正式の実習訓練を終了し公的に登録している熟練者で、訓練生の面倒を見、指導するのが役目。今回は訓練生は3つのグループ(ワッチ)に分けられ、各々に一人専任のボランティアが付いてワッチ・オフィサーと呼ばれる。
第1日目を航海日誌風に記述すると以下の通り
天気 曇りのち時々小雨
出発前の正午時点では、
残航506マイル、
風向SW、風力2.5ノット、
天候本曇り、気温27.5、湿度26.0、気圧1004.8、海面状態穏やか
船の位置 北緯34度63分、西経135度41分
清水残有量 47.3t
1日の動きを追ってみると、
1300 集合、(帆船「あこがれ」南港ATC乗船場所)
5分程前に集合場所に着いたが、殆ど皆集まっており、小生が最後だった。
咸臨丸子孫の会の乗船者2名と講師1名以外は初対面の方々。
乗船して各自指示されたボンク.に向かう。
居室に掲示されている割り当て表のボンクNoと何故か指示されたボンクNo.とは違っていたが、早々に荷物を片づける。
訓練生の応募が半数以下のため、上下のボンクを占有できる。有難い。
デッキ上での乗船式を経て船内を案内される。当たり前だが、2ヶ月前に下見した通りで何も変わっていない。
1400 出港
1420 マスト登り
さっそく、展帆・畳帆などの作業に欠かせないマスト登りの訓練。
先ず最初は、ロワートップボード(マストの途中にある最初の踊り場)まで。マストに登るのは昨年の海王丸航海以来なので1年2ヶ月振り。
登り方について、驚いたことが二つあった。
一つは、素足ではなく運動靴を履いたままでよいこと。登り下りやヤードを渡るのには素足では痛いとのボランティアの意見で決めたらしい。
二つは、安全のため背に風を受ける風上側からの登り降りが原則でないこと。
登るシュラウド(縄梯子)と降りるシュラウドが別で、風下側から登ると、風上側から降りる。
連続して各自が登ると、シュラウドの終点の踊り場が狭いため、登ったのとは別のシュラウドで降ろさざるを得ないようだ。
シュラウドの造作は海王丸と全く同じ。縦方向のリギン(ワイヤ)にラットラインと呼ばれる細いロープが渡してある。
マスト登りに当たって、五つの注意事項を受けた。
①掴むのは縦方向のリギン
②リギン間にあるラットラインには同時に両足を置かない
③腕は伸ばす
④?
⑤降りるときに飛び降りない
残念ながら注意事項を一つ失念してしまった。それでもマストには登れるが・・・
1530 クルーによる用語の説明
以下の内容をご教示いただく
・ポート(左舷)とスターボード(右舷)の呼び名の語源
・夜間の左舷赤と右舷緑の航行灯は飛行機も同じだが何故か
・ボンクの語源
・調理室をギャレーと何故言うのか
・ロープを引く時の掛け声「TWO SIX HEAVE」の謂われ
1600 投錨(神戸港外
大阪湾を機走し、三菱重工の和田岬沖合に錨りを降ろした。今夜はここで仮泊する。
停泊場所の近くには、勝麟太郎が摂海沿岸に配置した砲台の一つがある。1ヶ月ほど前に見学した写真の西宮砲台と同じ形態・構造で、軍艦奉行並であった勝麟太郎が責任者で、佐藤与之助が設計した円形砲台。
一度発射すると硝煙が室内に立ち込め使い物にならない失敗作であるとの評があるが、実際には試射で成功している。
1615 ヤードブレース
停泊中に風の影響を減らすため、3つのヤード(フォアマストのトギャラン、トップスル、コース)を習ったばかりの掛け声で全員で引き直した。
1630 夕食後に、 ボンクメイク
敷布、掛布、枕に各々シーツカバーを取り付け。
特に掛布のセッティングは一人では手間がかかるので、何人かで協力して行った。
1900 自己紹介タイム
デッキに集まり、①ニックネーム ②出身 ③特技 ④「あこがれ」でしたいこと、を各自紹介する。
小生は、 リョージ、宝塚、犬と直ぐ仲良くなれる、時化の航海を体験したい、と自己紹介をした。
船の大きさから、勝手に咸臨丸はあこがれ、開陽丸は海王丸と比定しているので、是非咸臨丸難航図のような状況を体験してみたいと思っているのだが、残念ながら結果的に今航海では時化の期待は裏切られる。
1945 藤本氏のお話
咸臨丸子孫の会の藤本氏による、塩飽の話
塩飽に寄港するのが今航海の目玉の一つでもあり、訓練生・ボランティア・クルーの各聴講者は、初めて聞く塩飽諸島とその歴史上で位置づけなど、興味しんしんに聴いていた。
2200 就寝
小生のボンクは二段の上側のボンクだが、ちょうど横上の天井に空調の吐き出し口がある。
結構うるさい音がしていて、寝てから初めてその存在に気がついた。
結局、今航海中は毎度耳栓をして寝るはめになる。
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