あこがれ航海8日目 2011/07/09(土) 「海 その愛」

本日朝、17時間半の帆走航海を終え、機走を開始する。 紀伊水道友ヶ島水道を通って、午後には関空沖に至る。 下船を明日に控え、運動会とさよならパーティイーが催され、班の出し物として寸劇を行った。 天気 晴れ 正午時点で、 前日正午から(航行距離:帆走96マイル/機走53マイル、大阪からの航行距離448マイル、残航58マイル、 航海時間:帆走17時間30分/機走6時間30分、平均速度:帆走5.49ノット/機走8.15ノット) 風向SSE、風力5.2ノット、 天候晴れ、気温28.0、湿度26.0、海水温度24.0、気圧1004.9、海面状態穏やか 船の位置:北緯34度05分、西経134度59分 清水消費量:前日4.9t、トータル27.9t、残有量19.4t 0530 起床 夜当直明けだが、5時間ほど睡眠をとっているので眠たくはない。 昨夜21時頃、夜当直前に室戸岬沖を通り、朝には紀伊水道の南に位置していた。     0615 起床時間 0630 体操のあと、3日続けてタンツー(デッキ磨き)をしないで、機走に移るための準備作業を行う。トギャランとトップスルを全員で減帆し、直ちに機走を開始した。 0720 朝食 0900 船長ブリーフィング 昨日13時の帆走からの大雑把な動きは以下のとおり。   1300~1600 距離20.5マイル(風向SSW、風力4~5ノット)   1600~2000 距離31.0マイル(風向SSW~S、風力3~4ノット)   2000~2400 距離21.0マイル(風向SSW~S、風力4ノット)   0000~0400 距離16.0マイル(風向SSW~S、風力4~1ノット、平均2.5ノット)   0400~0630 距離 7.5マイル(風向SSW~SW)、風力3)          計96.0マイル 2100頃室戸岬沖を通過したあと、風向はさほど変化していないが、本日0115頃になって風が弱まりブレーキがかかってきた。 機走前の時点で、黒潮の流れにも押され予定コースから若干外れ、少し南に来ている。
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但し、黒潮の流れに乗り予定よりもかなり進んだため、今日の停泊予定地を和歌山マリンシティ沖から、関西空港沖に変更する
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0920 ハッピーアワー(船内掃除) 1000 運動会 あこがれでは航海中に運動会を開催する。種目には船で使っている器具・道具を使って色々なレパートリが考えられているが、今回は、椰子の実を使ったカーリングと、ロープでの綱引き。 デッキ磨きで使用する半分に切った椰子の実をデッキブラシで的に押し込む
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2種目めは綱引き。小生の班が引っ張られて負けた場面
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小生の班(R: リゲル)は結局トータルで2位に
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1055 減帆 船首のフライングジブとインナージブを縮帆する。 まずフライングジブから
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1130 昼食 この頃、四国の伊島と和歌山美浜町との間の紀伊水道を通り、瀬戸内海に入った。 1335 友ヶ島水道通過 正面に友ヶ島が見える
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ここから大阪湾に入るが、大阪湾は大阪・京都への海の出入り口であり、この大阪湾を守るためには、入り口の明石海峡友ヶ島海峡とが戦略上重要な位置となる。 ペリーが来航した後、幕府は大阪湾周辺に砲台を建設した。 明石海峡明石藩に命じて舞子砲台を建設させる。 当時、淡路島は徳島藩の領地であり、徳島藩に命じて由良と松帆に砲台を作らせ、紀伊徳川家には友ヶ島に砲台を作らせた。      1345 畳帆 今回の航海で最後の絞帆作業であり、担当場所を決めて作業に入った。 担当場所
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横帆
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縦帆
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1600 関西空港沖に投錨 1630 夕食
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デッキ上で食事をとった。 今回最後の夕食なのでビールが1缶付いている。 あこがれは、航海中は禁酒で持ち込みもできない。 但し、最後の夕食にのみ食事と共に提供される。 1900 フェアウェルパーティー 各班からパーティ委員が出て、数日前から企画し、本日の開催を準備いただいた。 タキさんの名司会役で進行し、各班とも芸達者で航海訓練中に見なかった顔も見え楽しいひと時を過ごした。 司会進行役のタキさん
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ボランティアスタッフの出し物、懺悔
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我が班の出し物、実際にあった咸臨丸での清水泥棒
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ジョン万次郎が持ち帰った、ABCの歌
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クルーの歌
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全員で加山雄三の歌「海 その愛」を歌いパーティーを締めくくる
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