水上から満開の大川(旧淀川)の桜、染井吉野5000本を観賞してきた。
出発は八軒家浜で、源八橋下流までの往復だが、途中では通り抜けの桜並木も川面から眺めることが出来、喜んでいる。
天満橋の八軒家浜の船着場からのさくらクルーズ
川崎橋が見えてきた。川崎の渡しがあった場所。江戸時代には橋がかかり通行料をとった。
川崎橋をくぐる。両岸は延々と桜並木が続く。
左岸に造幣局がある
帝国ホテルが見えてきた
桜はほとんどが染井吉野
明治になって鉄道が出来るまでは、京都伏見と大阪八軒家との船着場を発着点として、旧淀川は京都と大阪を結ぶ主要な交通路であった。
八軒家船着場跡の碑は大阪天満の永田屋昆布本店の前にあるが、当時の船着場は、もっと西側の熊野街道の基点の碑の北西の辺り、つまり土佐堀通りの北側に面してあった。
新撰組の定宿・船宿京屋忠兵衛と龍馬が利用した船宿堺屋源兵衛も、船着場に近い、熊野街道基点の東側直ぐの場所に位置していたらしい(大阪龍馬会 長谷氏の研究による)。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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