2/6 朝早く横須賀へ出かけた。京都から雪で、新幹線は関ヶ原では徐行し、到着が20分ほど遅れた。
横須賀訪問の目的は、
万延元年遣米使節150周年を記念して開催される、浦賀文化センター特別展「咸臨丸と浦賀」と
第22回レンガドックイベント「咸臨丸の生涯」の拝見、合わせて浦賀と久里浜の史跡めぐりをすること。
残念ながら時間の都合で、郷土資料館での山本氏の講演「咸臨丸と浦賀」(13:30~15:00)は拝聴できなかった。氏は遣米使節150周年記念事業の発起人でもあるが、興味深い講演内容だったと想像できる。
ただ、遣米使節の正使が乗ったのは咸臨丸ではないので、今年の年間行事の中で咸臨丸だけが強調して取上げられるのは腑に落ちないものがある。
1)郷土資料館には、浦賀ならではの中島三郎助の常設展示コーナーもある。小規模だが、他所にはない展示物がみられる。
幕末登場人物の中でも中島三郎助は、まさに幕末の歴史の一面を体現した人物ではないだろうか。小生の好きな人物である。
当時、浦賀奉行所は長崎奉行所と並び、いやむしろ江戸への入り口を見張る役割を持つためより重要なポジションにあった。ペリー来航時には奉行所与力であったが、真っ先に旗艦に乗りつけ交渉に当たった。
日本初の大型洋式軍艦「鳳凰丸」建造に携わり、また長崎海軍伝習所に一期生で入所し操艦術を習得、軍艦操練所教授方出役になる。ただ咸臨丸渡航時にはある理由から乗船の選からもれた。
その後まもなく浦賀に帰番するが、浦賀は幕府の軍艦や運送船が品川出帆後、風待ち潮待ちのため寄港するのが常で、伝習所・軍艦操練所の同僚も訪れ、最新の情報が入手できたことと思う。
幕府崩壊後は榎本艦隊で蝦夷地に脱出し、五稜郭降伏直前に潔く戦死した。
幕末の最初から最後まで気骨のある、歴史を作り見た証人であった。
2)レンガドックイベントの「咸臨丸の生涯」は、小杉氏が長年調査研究した成果物を、コンパクトにまとめ、咸臨丸の一生を理解するのに大変分りやすい展示になっていた。
写真はレンガドック
3)史跡めぐりは、西浦賀から東浦賀、最後に久里浜を訪ねた。
●西浦賀は、
大衆帰本塚-->郷土資料館-->レンガドック-->愛宕山公園-->浦賀奉行所跡-->壽光院(濱口興右衛門墓)
●東浦賀は、
東林寺(中島三郎助墓)-->東叶神社-->顕正寺(岡田井蔵・春山弁蔵墓)
●久里浜は、
ペリー公園(ペリー上陸記念碑、じょうきせんの碑、ぺりー記念館)
東叶神社の山に登ると、ペリー艦隊が停泊した湾が一望できる。
最後は、横須賀中央にある、「やきとり竜馬におまかせ」で、初めて斉藤さんにお会いした。
残念ながらあまりお話は出来なかったが、入手した著書新刊の「坂本竜馬とおりょう」を一読すると、横須賀地元ならではの逸話などがちりばめられ、小生の知らないことが多々あり、勉強になる。有難うございます。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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