本日4/1正式に発足した。
昨日は、そのための京都支部の立ち上げも兼ね、京都祇園の「こったいの店 司」で会合した。
飯沼一元氏より、3月22日の発起人会(東京都板橋区 堀田文庫で開催)での議論の中心と主な活動内容の報告があり、一同了承した。
白虎隊の会設立の目的は、失われつつある 『義』 を現代および将来に伝え、広めることにある。
そのために、今後様々な活動を予定するが、とりあえず飯盛山など白虎隊関連の地に、史実をきちんと説明する案内板を設置することから始めることにした。
白虎隊の会のHP
http://byakko1868.web.fc2.com/
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白虎隊士の自刃については、城が燃えているのを見て諦め無念のうちに自刃したなどと誤って伝えられている場合が多い。
事実はどうなのか。
飯沼貞吉の遺した文書(白虎隊顛末略記 自刃之事)によれば、以下の通り(筆者意訳)
隊士一同、飯盛山に登り若松城を臨めば、炎は天に昇り砲声は轟く。滝沢街道を多くの敵兵が行進している。
ここで、一同は足を止め激論を交わす。
野村駒四郎: 臣士の分を君に尽くすときは今。滝沢街道を進む敵を衝き、斃れて後に止まん。
井深茂太郎: 若松城は蒲生氏郷の築ける名城故、容易には落城しない。潜して若松城に入るべし。
様々に激論する中、篠田儀三郎が最後にいう。
今となっては講ずべき策はない。進撃も入城も不可能ではないであろうが、十人強の人数では絶対に成功するとは限らない。誤って捕虜となり縄目の恥辱を受けては君に対し祖先に対し面目がない。
潔く茲に自刃し、武士の本分を明らかにするにある。
ここで議論は定まり、一同列座し西方鶴ヶ城に向い遥拝訣別の意を表し、従容として皆自刃した。
貞吉の遺文からみれば、鶴ヶ城の堅固さについては明確に認識しており、また敵を前に戦闘意欲は十分にある。
ただ少人数のため、進撃も入城も成功の確率は少なく、万が一捕虜になれば君・祖先に対し面目がない。
この共通認識のもとに、従容として自刃したのが、事実であった。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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