遣米使節150周年記念事業

9/25(土)、横須賀にて、遣米使節150周年を記念し式典と講演会が行われた。 主催は 「万延元年遣米使節150周年記念事業実行委員会」、共催は横須賀市横須賀市教育委員会、後援は外務省。 正使新見豊前守、軍艦奉行木村摂津守など遣米使節の子孫約90名と、関係者や参加者が多数集い、また咸臨丸に乗船したブルック大尉の曾孫さんの素晴らしい記念講演もあり、150周年に相応しい記念イベントであった。
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記念事業の内容は以下の通り。  第1部 式典:  13時~14時 横須賀芸術劇場  第2部 講演会:14時~16時 横須賀芸術劇場  またイベント終了後、別途、懇親会が17時~19時に持たれた。 1)記念式典  まず、日米の両国国歌の演奏で始まった。
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 次に、記念事業実行委員長藤本増夫氏の挨拶があり、記念事業を企画した趣旨を語っていただいた。非常に分かり易く、氏の思いのこもる内容であった。 「遣米使節一行は日本初の公式訪問団として、米国の進んだ文化を詳しく調査して帰ってきた。このことは鎖国で遅れてしまった日本が多くのことを巻き返す起爆剤となった」  しかし、訪米時と帰国時とでは開国から攘夷へと国内の政治状況が変わり、また政権交代もあって明治時代には功績が評価されず無視され不遇な目にあった人が多く、子孫の方々も辛い目にあう状況が続いた。  今回の記念事業を契機に遣米使節の子孫探しも新たに進んだことも踏まえ、氏は最後に、  「これから皆さんと共に150年前、日本人とアメリカ市民とが出会い、それを最初に行った人たちの思いを考えてみたいと思っています。このイベントを縁に、子孫ならではの情報が明らかになって、遣米使節の研究が一層進むことを願って止みません」と結ばれた。
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   横須賀市の吉田市長、外務大臣代理小山氏の式辞が続き、最後にブルック氏より歴史家である父親の著作の贈呈があった。
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   余談だが、記念式典が横須賀で行うことになったのには立派な理由がある。当初、慶応元年に幕府によって開設され日本の近代化に大いに貢献した横須賀製鉄所の場所がある米軍基地内で式典を行う予定であった。基地司令官の交代、普天間基地を巡っての迷走等も影響したのか、基地での式典開催は実現しなかった経緯がある。 2)講演会  ①星亮一 「万延元年遣米使節ーその知られざる実像」  ②ジョージ・M・ブルック3世 「ジョン・M・ブルック大尉の太平洋航海」     史実を語るという意味では講演者としてまったくの人選ミスで、星氏の講演は、直前まで記念事業の趣旨に沿い史実を話すようにシナリオ調整せざるを得なかった。結果的には概ね趣旨に沿った内容に改めることができ、良かったのではと思っている。知られざる実像の紹介はなかった。  ブルック3世の講演は、ブルック大尉の生い立ちから亡くなるまでの一生について、家庭、海軍入隊、測量技術、太平洋・日本近海での測量の実施とその業績を中心に話をされ、咸臨丸の航海と乗組員についても触れられた。  ブルック家に伝わる新資料を散りばめた詳細な説明を拝聴し、得るところが誠に多い講演であった。
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 記念イベントの最後に、藤本実行委員長より、閉会の挨拶があった。
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 9/26の神奈川新聞
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  3)懇親会  懇親会場は、まさに、驚きのエキサイティングな場になった。  ペリー提督、ポーハタン号に乗船した遣米使節と従者、咸臨丸で航海した幕臣、従者、水夫の方々の子孫同士の出会いの場と化していた。幕末の研究者・関係者の方々との語らいも楽しく、会場のどこも笑いが絶えない状況でした。   今年4月から2ヶ月かけて咸臨丸の航跡を辿った、帆船海王丸の乾船長も参加され、誠ににぎやかで和気あいあいとした時間が、あっという間に過ぎ、閉会時間になっても帰らない人がほとんどで、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。今回の記念事業の企画・運営に当たった方々に感謝申し上げます。  ペリー提督の御子孫と
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 ブルック大尉の御子孫夫妻と
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                       左は木村摂津守の御子孫、右は米国側遣米使節150周年実行委員長夫人
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 海王丸船長乾氏と
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勝海舟、木村摂津守、ブルック大尉の御子孫の歓談の場面
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海王丸でご一緒した毛利氏夫妻と妻と
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 宴たけなわの頃
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