海王丸航海1日目 2010/04/07(水)  出航

4/7東京を出航し、サンフランシスコに向かう。  150年前に北太平洋を渡った最初の幕府軍艦咸臨丸の航跡を辿る航海イベントが始まった。
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天気は曇り時々小雨  船の位置は、北緯35.61度、東経139.77度。 一緒に航海する方々は、 実習生92名(東京海洋大学神戸大学海技大学校の在学生) 研修生12名(一般人、平均年齢は60歳以上)、指導員2名 乗組員64名 計  170名 研修生の平均年齢が高いのは、30日間航海する時間に余裕がある定年退職者が大半を占めるため。 当日は以下の通り式典も行われ、関係者の見送りを受け出航した。 0550 起床 0640 朝別科  研修生は定刻5分前の5分前(10分前)に整列せよとの指示があった。船長挨拶、船医の紹介があり、救命胴着の装着などの航海訓練準備を行う。
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0930 乗船式  実習生・研修生全員が集合し、船長挨拶のあと、研修生乗船式を行った。初めて乗り組む研修生が、実習生・乗組員と互いによろしくと挨拶を交わす式。
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1100 咸臨丸子孫の会激励 子孫の会小林会長より、実習生・研修生全員に咸臨丸の航跡をたどる航海にあたっての訓示激励があった。
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1300 出航式 生憎の雨のため甲板ではなく船内で行われ、関係者より以下の挨拶があった。 ①国土交通省 小野芳清海事局長 (大臣代読)   「優秀な船員の確保育成は重要な課題であり、国土交通省でも   一層の充実を図っていく。この航海を通じて精神的・肉体的な    試練を体験するとともに、資質の涵養に務め、船員として成長    されることを期待する」    以後の他の挨拶と異なり全員立たせての訓示であった。 ②航海訓練所 岡野良成理事長    「咸臨丸が桑港を目指して150年。浦賀の小学生から桑港の子供    たちへのメッセージを預かった。同地では、友好親善の若い    使節団として活躍することを期待する。船長・機関長には、    航海中一切機械の音がしない時間を作って欲しいとお願いし    た。150年前と変わらない風の音、浪の音を感じ先人が成し    遂げた偉業に思いを馳せて欲しい。」
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東京海洋大学 岩本勝美乗船実習科長  省略 ④海洋会 杉崎昭生会長 省略 ⑤海王丸 乾船長  「現代生活の価値は、3つのC、コンビニエンス(便利)、コンフォート(快適)   、コネクション(接続)といわれるが、海王丸では不便で快適とは   いえずインターネットも使えない。そうした生活に身を置き、咸臨丸   の航跡を辿って桑港を目指す。先人が残したものは船員魂だ。   実習生・研修生、乗組員の170名全員が海に鍛えられ、船に   育てられ、成長して帰ってまいりたい。」     ⑥横須賀市浦賀小学校 相場俊広校長 省略    横須賀の小学校生から米国小学生へのメッセージの伝達があった。 1400 出航 式典を終え関係者に見送られ出航した。この日は報道陣も多かった。
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港の出入りは帆による帆走ではなく、エンジンで機走する。実習生による登艢礼でもって、出航した。小雨の中、手元足元が濡れているためかなりリスキーに感じた。登艢礼は小生もゴールデンゲートブリッジを通過する時、行うことになる。 研修生は艦橋に整列
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機関科と航海科の実習生 航海科実習生はマストに登るため裸足
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船首のバウスプリット(斜めマスト)の先頭で号令 「ごきげんよー」 マイクなしで船尾までの100メートルに届くよう、皆驚くほど声は大きい
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港に響くマストからの「ごきげんよー」に、見送る人はいつも感動する
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登艢礼配置表
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海洋大生が船で随行し見送り
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咸臨丸子孫の会より贈呈された幕府軍艦旗中黒吹き流しがミズンマストに翻る。但し、マスト上で絡まるため、止むを得ず品川沖あたりで下す。
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この日は、大陸から移動してきた高気圧の前面に位置するため、雲の多い、北風による 肌寒い天気であり、またこの移動性高気圧は勢力が強いのでそこから吹き出す北東風は 強いことが予想され、出航早々、荒天準備が必要だった。 慶応4年(1868)、品川沖を脱走し銚子沖で暴風雨に見舞われた榎本艦隊と同じような状況が体験できそうだ。 当日出航に際し、船長から以下のメッセージがあった。 1)天気予想と航海 ①東京湾を出ると瞬間最大風速は20m/secを越える時化模様となる。 最大波高は6m近くにも達し、荒天対策に遺漏なきよう準備すること。 またこの荒天は明日いっぱい覚悟する必要がある。 ②風向がNEであるため、展帆しても行きたい方向第一象限000~090に 針路を定めることはできないので、機走を一日延長し9日の午後に展帆する。 ③野島崎を通過後は、次の低気圧の直撃を避けるために北上は控え、090に針路を定めて北緯35度を東進する。 2)時刻改正 サンフランシスコまでの航海は、船内時を視時に合わせる(正午に太陽の正中時刻を合わせる)ため、正午の船のポジションを予想し、朝の8-12直で 時刻改正をする。 ただし明日の時刻改正量が多くなるので、本日夜の20-MN直で時計を15分進めておく。 3)荒天対策 運航手順書には、風力6又は波高6m以上を荒天航海と定めており、その際には暴露甲板への立ち入り制限及び通行経路の指示が定められている。手順書に則りその対策を講じていく。     出航後、直ちにヤード(帆桁)をまわし、機走と荒天に備える。
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1630 途中で入港する日本丸とすれ違い、浦賀沖に至る
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1730 夕食後、 航海中にお世話になる甲斐専任教官と研修生の懇談会が行われ、各自自己紹介をする。このころより荒天で上下の揺れがひどくなる。 1945 夜別科 トイレ、洗面所、廊下、居室など、当番を決め持ち場に分かれて当直以外全員で船内の清掃。船内掃除は以後毎晩行う。 2000 巡検開始 点呼を兼ねた清掃出来栄えのチェック。巡検終了までは作業着のままで過ごす。 巡検終了後、消灯まで私服に着替え自由時間。この晩は焼酎をごちになる 2230 消灯、就眠 0200 目が覚める、 時化によるかって経験したことがないひどい揺れ。 どこかで聞いた「こんなところには来たくはなかったのじゃ」の気持ちもわかる。しかし疲れていたのか、またすぐぐっすり眠ってしまった。 かくして、一日は終わり、いよいよ大海原での航海が始まった。 航海2日目の記事は、 https://bakumatusanpo.seesaa.net/article/201104article_4.html にあります。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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