あこがれ航海3日目 2011/07/04(月) 塩飽本島見学

塩飽本島に上陸して、ボランティアガイドに案内頂き、塩飽水軍の足跡と笠島集落の町並みを満喫しながら島内を歩いた。 史跡巡りのコースは以下の通り。 咸臨丸顕彰碑-->木烏神社-->人名年寄の墓-->塩飽勤番所-->専称寺-->笠島まち並保存地区 天気 曇りのち雨 正午時点で、 前日正午から(航行距離43マイル、大阪からの航行距離89マイル、残航417マイル、 航海時間6時間42分、平均速力6.42ノット) 風向W、風力3.9ノット、 天候晴れ、気温25.5、湿度24.5、気圧1001.8、海面状態穏やか 船の位置 北緯34度21分、西経133度46分 前日清水消費量4.2t、残有量39.8t 0505 起床 牛島沖から望む、牛島に昇る日出
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0615 起床時間 0630 タンツー(デッキ磨き)で一日が始まる。 デッキ磨きは、食事当番以外の訓練生全員が行う30分ほどの作業で、ボランティア・スタッフとともに、ワッショイ、ワッショイの掛け声で行う。腰を落としての作業はかなりきついが一体感が醸成される効果もある。     あこがれでの方法は、 磨く場所を決めて(今回は船首のバウデッキ)、まず海水をデッキに流し、砂を撒いて、小さなレンガほどの大きさの砂岩の石の塊で木甲板を磨く。
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撒いた砂が潰れるほど十分に磨いた後で、半分に切った椰子の実で同じ場所を擦って潰れた砂などを掻きだす。 終わった後は海水で流し、きれいに水切りを行う。 あこがれの木甲板は5cm程の厚さの長方形のチーク材で造作されていて、チーク材チーク材の間はウレタン樹脂が埋められている。 デッキをみるとあちらこちらのウレタン樹脂が痛みが目に付き、水が中に浸潤しているのが分かる。水切り行っても後から水が湧いて出てくる状態が起きている。傷んでいるウレタン樹脂を砂で磨き却って傷めているようにも見える。 その後のメンテナンスが追いついていないようだ。 大阪市の予算削減もあると思うが、このまま放っておくとチーク材の傷みも進みかねないので、ウレタン樹脂のすみやかな改善が必要と感じた。
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実は砂を撒くこの方法のでデッキ磨きは初めての経験だった。 砂を撒く場面は、映画などで帆船の戦闘開始前に目にするが、戦死者負傷者の血で足元が滑らないように、また、こぼれた火薬が発火することを防止するために、事前にしておくと思っていた。 海王丸30日間の航海では船首から船尾まで100mほどをひたすら椰子の実で磨いていくだけで、砂で擦ることはなかった。海王丸では手入れが行きとどいていたのかウレタン樹脂の痛みはついぞ見たことがなかったのだが・・・ 0720 朝食 0830 ハッピーアワー(船内掃除30分) 1000 この頃、幕府軍艦旗がメインマストに掲揚された。この旗は先年の別のイベントの際に咸臨丸子孫の会か開陽丸子孫会より船に贈呈されている。 大阪港入港直前まで7日間翻ることになる。
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1010 上陸開始 クルー、ボランティア・スタッフ、訓練生が、牛島沖から本島まで地元のご好意で準備されたボートであこがれを離れ本島へ向かう。
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本島コンシュルジュのボランティアガイド三宅さんの案内で、まず咸臨丸渡米150周年を記念し、昨年建立された乗組員塩飽水夫の航跡を讃える顕彰碑を訪ねる。咸臨丸の水夫50人のうち塩飽出身者は35人を占め、当時の塩飽水夫の操船技術の高さがうかがえる。
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木烏(こがらす)神社へ向かう
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奇妙な名をもつ神社は、日本武尊が筑紫に向かう途中、濃霧で船が立往生した時、カラスが水先案内したという伝説にちなみ、カラスを祀る泊地区の鎮守様。       祀られているカラスが3本足のヤタガラスか否か聞き忘れてたが、よく似た話は各地にある。 14年住んでいた奈良の山奥、榛原には、神武天皇が東征の途上、天から遣わされたヤタガラスの道案内により熊野・吉野の山中を榛原まで行軍し、明日香へと向かったとの伝承があった。 また、パイロットの意味があったかのかは分からないが、戊辰戦争時には、仙台藩の細谷十太夫は西軍に立ち向かった時、背にヤタガラスの文様の黒装束を着て戦った。 カラスは、ゴミをあさるなど嫌われ者だが、小生にはいろいろと縁のある鳥。     神社の石の鳥居は、高さ4.5mの石の大鳥居で、上部の笠木の両端が丸く跳ね上がっており、柱は下になるほど太く、台石がなく深く掘って埋めてある。塩飽水軍の信仰が篤く、年寄の宮本半右衛門が寄進したと柱に彫られている。 石柱は四角い石材を丸めたて作り真円ではなく、笠木の両端は跳ね上がっている。何故か、薩摩の石工による作品。     境内にある千歳座は、直径7.7m回り舞台や奈落(地下室)を備えた江戸時代末期構築の本格的な芝居小屋で、屋外に花道があり、境内が観客席になる、全国でとくに重要な30舞台の一つとのこと。 人名年寄の墓
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塩飽人名の年寄宮本家累代の供養墓。 宮本家は塩飽の豪族で、水軍の統領として海外に進出したり、海上の戦や海運輸送に活躍し、近世に至って一族が長く人名の年寄役を勤めた。 塩飽勤番所
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塩飽勤番所は日本で唯一残っている幕府の勤番所で、江戸時代に全国で他に例のない、どの藩にも属さない独立自治を行った島民たちの海の政務庁。 秀吉・家康は塩飽諸島に1250石の領地を与え、島人650人から選ばれた年寄り4人が交代で領地を統治した。士分でもない船方衆が領主となったのは異例であり、“人名”(じんみょう)と呼ばれていた。 中央政権と繋がりを持つ塩飽衆は、金毘羅大権現の旗を掲げて日本海を航海、北前航路に活躍して巨万の富を島に運んだ。 勤番所は現在は資料館となっている。 海運史上での塩飽の役割を物語り、また塩飽衆が当時の政権から重用された事実を明示する資料が大切に保存されており、織田信長豊臣秀吉徳川家康などの朱印状、大岡越前守の漁場裁許書、咸臨丸乗組員の遺品など展示されている。   織田信長の朱印状
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  豊臣秀吉の朱印状
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  徳川家康の朱印状,
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また、翌々日7/6に放映される歴史ヒストリア「”黒船に乗ったラストサムライ”」の中島三郎助が中心となって日本で初めて建造した洋式大型軍艦「鳳凰丸」の絵が飾ってあった。 鳳凰丸の絵はここにしかなく、日の丸を掲げ、帆がすべて幕府軍艦旗の文様となっているのが印象的。
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専称寺 笠島に入る坂の上にある。法然上人は自力本願の真言宗天台宗に対して、専修念仏を唱え他力浄土の教えを開いたが、他の仏門から弾圧を受けた。 後鳥羽上皇は、寵愛する鈴虫、松虫の二人の女房が熊野詣での留守中に出家してしまったことに立腹し、法然上人を土佐へ流刑とする。上人は、讃岐への途次、笠島に立ち寄り、塩飽衆 泉僧が法然上人の遺跡を訪ね寺を建てたという。 笠島まち並保存地区
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国の重要伝統的建造物群保存地区で、江戸末期から明治期にかけての建物が残り、迷路のような町並みに千本格子の出窓を配した家々や、漆喰白壁が重なり塩飽大工の技術の高さを感じる。 城山の中腹かたみた笠島港の光景
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かってここを根拠地として塩飽衆が海へ進出して行き、江戸時代にはその富と誇りを競い合って屋敷に意匠を凝らし、今も江戸時代の建物が13棟、明治のものが20棟保存されている。 ここ笠島では多度津の西山夫妻が、同じ咸臨丸子孫の会のメンバーに会いに来られ、残りの島内散策に参加された。 1500 帰船開始 西山夫妻、勤番所のわれらがタマちゃんの見送りを受け、歴史の宝庫・本島を後にした。
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戻るボートからみたあこがれ。5~6ノットの西風でメインマストの幕府軍艦旗が翻っている。
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     1700 夕食 1900 七夕飾り制作 七夕が近い。本島から取り寄せた竹に全員で願い事を書いてくくりつける 1930 今日の土産話披露 島内見学組と居残り組とで、今日は何があったのか、お互いに感じたことを披露する。 個人の思いの伝達とコミュニケーションで全体の意志疎通を図る意味で、なかなか良くできた方法と感心する。 2200 消灯 皆が島内見学をしている間に、あこがれでは船内見学が行われていた。 将来のある塩飽の児童・少年が船を見学するのは意味のあることなので、元々本島に寄港するのも船内見学が一つの目的にあった。 潮のため本島に寄港できず牛島沖にアンカーを降ろしたけれども、予定になかったボートの手配が島の関係者の努力で実り、船内見学が実現し喜ばしい限りであった。 記録のため、船内見学の様子について船長の話を紹介しておく。 ◎タツ(あこがれお留守番組) 「 あこがれ」のHPより転載 トレーニーが地元かたのご好意で準備されたボートで、颯爽と上陸したあと、再びボートは「あこがれ」に戻ってきました。 ボートには島の小中学生が乗っていて「あこがれ」の見学に来てくれました。 来てくれたのは、丸亀市立本島本島小学校 児童18人と職員10人、本島中学校 生徒14人と職員10人の皆さんです。 始めにメインデッキで船長タツが、挨拶と船の紹介、今回の航海のテーマ「塩飽諸島とジョン万の土佐清水」コースの説明をした後、5つのグループに分かれ、クルーの案内で船内を見学しました。時間は学校の給食時間までの30分間。 ブリッジの航海計器や船内の設備の説明を聞いたり、毎朝トレーニーの皆さんが、ピカピカに磨いたビレイピンやマグネットコンパスカバー、バウデッキの木甲板(チーク)を見て、驚いていました。 見学の時間はあっという間に過ぎ、「ありがとうございました!」と元気な挨拶と共に、船を後にしました。 下船の時、中学生の男の子の一人は「僕も大きくなったら、漁船に乗ります。」と胸を張って教えてくれました。 いい船乗りになってください。 ----------------------------------------------- 本日の塩飽本島の訪問について、四国新聞の記事 咸臨丸子孫会HPより転載
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