尖閣についての林凡氏のツイート原文

中国広東省の民間企業幹部が8月24日、中国版ツイッター「微博」で「1949年から71年まで中国政府は釣魚島(尖閣諸島)を日本の領土と認めていた」と異例の発言をした。 日本領有を示す53年1月の中国共産党機関紙、人民日報の記事や、複数の公式地図など根拠を挙げている。 発言をしたのは同省広州の電子サービス企業、広東捷盈電子科技の取締役会副主席との肩書を持つ女性の林凡氏。 林氏は微博の運営会社、新浪微博から「実名」の認証を受けており、10万人以上の読者をもつ。 林氏の資料によると、人民日報は53年1月8日付の紙面に掲載した記事で「琉球群島(沖縄)は台湾の東北に点在し、尖閣諸島先島諸島沖縄諸島など7組の島嶼からなる」と表記していた。 中国当局が監修した53年、58年、60年、67年に発行した地図の画像も示したが、 その多くが「尖閣群島」「魚釣島」などと表記。日中境界線も明らかに日本領土を示している。 林氏は冷静に証拠を積み重ねた上で「中国政府はこれでも釣魚島はわれわれの領土だといえるのか」と疑問を投げかけた。 中国国内からの反応には、「資料をみて(尖閣諸島が)日本領だったことが明白に分かった」 「(当局に)タダで使われて反日デモを行う連中には困る」などと、林氏支持の発言が出ている。 中国广东省民间某企业管理人员于8月24日在微博上称,“1949年开始到1971年瓷器国政府都承认钓鱼岛是日本领土”。其拿出1953年的党报《人民日报》的新闻、以及若干地图作为证据。 发微博的为广东省的广东捷盈电子科技董事会副主席林凡。林凡为新浪加V认证人士,拥有10万关注者。 据林凡所提供的资料,人民日报在1953年1月8日的新闻称“琉球群岛(冲绳)散布在我国台湾东北和日本九州岛西南之间的海面上,包括尖阁诸岛、先岛诸岛和冲绳群岛等7组岛屿”。从中国当局所编订的53年、58年、60年、67年版本的地图来看,大多数都是标记为“尖阁群岛”、“鱼钓岛”。对中日界线的标记也明显为日本所有。 林凡冷静地将证据收集起来在网上公布,并提出“瓷器国政府,钓鱼岛还是我们的领土吗”的质问。中国国内的反应多是,“从资料来看钓鱼岛确实为日本领土”“这让参加反日游行的人很为难”,很多人支持林凡的言论。 ブログ記事と「微博」の書き込みは中国国内でコピーされ読者が増えているが、25日に到って、中国政府機関により片っ端から削除が始まっている。 従って、貴重な中国国内からの発言を削除から守るため、以下の通り、保存することにした。 原文に続けて、chinanewsの翻訳文をつけるが、引用元は http://kinbricksnow.com/archives/51806901.html -----以下 林凡氏の「微博」の書き込み記事原文----- 被中国政府自己抛弃了22年的钓鱼岛 (2012-08-24 11:30:47)转载▼ 标签: 杂谈 众所周知,日本方面把“钓鱼岛”称为“尖阁群岛”,而50、60年代的中国地图竟然都是标有“尖阁群岛”,且标记为日本领土。人民日报1953年1月8日第4版,将“尖阁群岛”列为“日本冲绳”的一部分:众所周知,日本方面把“钓鱼岛”称为“尖阁群岛”,而50、60年代的中国地图竟然都是标有“尖阁群岛”,且标记为日本领土。 人民日报1953年1月8日第4版,将“尖阁群岛”列为“日本冲绳”的一部分:
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1953年亚光与地学社中国地图(台湾福建两省均未含钓鱼岛):
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世界地图集1958年版(大陆),注意图中标的是“尖阁群岛”:
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日本右翼说,中国自从1970年12月之后,才宣称对钓鱼岛拥有主权,迟于日本的实际治理和主权声明。其实,很简单,只要从1949年到1970年,有任何中国官方的地图清楚表明了钓鱼岛是中国领土的,就能坐实日本右翼造谣。 可惜的是,自从1949建国之后,钓鱼岛被中华人民共和国政府整整抛弃了22年: 【1958年中华人民共和国地图集,地图出版社,台湾分图】以下大家看到的台湾省地图部分,右边在东经122度30分切断,而钓鱼岛在东经123度29分,赤尾屿在124度34分(也就是向右100公里、200公里左右)。显然,这代表该图不认为钓鱼岛是中国领土。
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【1960年世界地图集,地图出版社,日本分图】大家可以看到,在这个分图中,钓鱼岛用的是日文的标志(尖阁群岛之鱼钓岛),而国界线划分和台湾岛沿线平行,清楚让读者认为,钓鱼岛和赤尾屿属于日本之琉球群岛。
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【1967年中国地图册普及本,地图出版社,台湾分图】和1958年图一样,台湾省图的右边在东经122度10分切断,钓鱼岛不被认为是中国领土。
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【1972年中国地质图,地图出版社,行政简图】1971年,中国地图做了重新测绘。之后的三四年内,中国的各种地图都根据这个版本做了一个过渡,反映了1970年12月主权声明的政治事实。这个过渡就是,1)在钓鱼岛和赤尾屿的地方标注了①②(因为来不及换版),然后在页下面注明:①钓鱼岛,②赤尾屿;2)台湾省的地图右端在东经125度之后切断,往右移了3度,照顾这两个岛进入中国领土。而之后到现在的中国地图,已经不再用①②,而是直接在地图上标注名字了。至此,钓鱼岛才于1971在中国地图上回归祖国。
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中国地图和中国政府,能否对我们说,钓鱼岛是我们的领土? -----以上 林凡氏の「微博」の書き込み記事原文----- ----以下 林凡氏の「微博」の書き込み記事翻訳(Chinanewsより引用)--- (注:小見出しはChinanewsが作成) ■22年間もの間、中国政府自身に捨てられていた釣魚島  (2012-08-24 11:30:47) ・資料1:人民日報1953年1月8日 多くの人がご存知の通り、日本は「釣魚島」を「尖閣諸島」と呼んでいる。1950~60年代の中国の地図にはなんと「尖閣諸島」と表記されており、日本の領土とされている。1953年1月8日付人民日報の第4版では、「尖閣諸島」を「日本沖縄」の一部と書いている。 琉球諸島人民、米国の占領に反対し闘争(人民日報1953年1月8日の第4版)
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琉球諸島は中国台湾の東北と日本の九州の西南の間に位置し、尖閣諸島先島諸島大東諸島沖縄諸島、大島諸島、土噶喇列島、大隅諸島など7つの島嶼群から成り立っている。各島嶼群には大小多くの島々が含まれており、合計して50以上の名称のある島と400以上の名前のない島がある。その陸地面積は合計で4670平方キロメートル。 最大の島は沖縄諸島の沖縄島(大琉球島)で面積は1211平方キロメートル。第二の島が大島諸島の奄美大島、730平方キロメートル。琉球諸島は1000キロメートルにわたるが、その内側が中国の東海であり、外側は公海である太平洋だ。 ・資料2:1953年地図 1953年の亜光・地学社の中国地図(台湾省福建省ともに釣魚島を領域に含んでいない
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・資料3:1958年地図 世界地図州1958年版(中国本土)。地図中に尖閣諸島と 書かれていることに注意。
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・資料4:1958年地図 日本右翼によると、中国が初めて釣魚島の主権を宣言したのは1970年12月。日本の実効支配と領有宣言から遅れている。ならば話は簡単だ。1949年から1970年の間に釣魚島が中国の領土であると表明している中国の官制地図があれば、日本右翼の発言はデマだと証明できる。 だが残念なことに1949年の建国後、釣魚島は中華人民共和国政府によって22年もの間、見捨てられてきたのだった。 『1958年中華人民共和国地図集』地図出版社の台湾部分。 以下の台湾省地図を見ると、右側は東経122度30分で切断されている。釣魚 島は東経123度29分に位置し、赤尾嶼は124度34分に位置する(つまり右に向かって100~200キロ進んだところ)。つまりこの地図ももまた釣魚島を中国の領土とみなしていない。
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・資料5:1960年地図 『1960年 世界地図集』(地図出版社)の日本地図。釣魚島は日本語で表記されている(尖閣群島、魚釣島)。国境線は台湾島沿岸と並行に描かれており、釣魚島と赤尾嶼が日本の琉球諸島に属していることがはっきりわかるようになっている。
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・資料6:1967年地図 『1967年中国地図冊普及版』(地図出版社)の台湾部分。1958年の地図と同様、台湾省地図は東経122度10分で切られている。釣魚島は中国の領土とみなされていない。
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・資料7:1972年地図 『1972年中国地質図』(地図出版社)の行政区分略図。1971年、中国地図は新たに測量した。それから3~4年、中国の各種地図は過渡期的な対応をとり、1970年12月の主権声明という政治的事実を反映させている。 その過渡期対応とは (1)釣魚島と赤尾嶼に①②というマークをうち、ページ下に「①は釣魚島」と注記するようになった(改版が間に合わなかったための措置)。 (2)台湾省の地図は右端を東経125度で切るようになった。つまり右に3度ずらし、2つの島を中国の領土に入れるようになった。 その後、現在にいたるまでの中国の地図は①②という注記を使わず、地図上にその名称を表記するようになった。 釣魚島は1971年になってようやく中国地図上における祖国回帰を果たしたのだ。
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これでも中国地図と中国政府は「釣魚島は私たちの領土だ」と言えるだろうか? --以上 林凡氏の「微博」の書き込み記事翻訳(Chinanewsより引用)-- 補足:人民日报1953年1月8日第4版
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尖閣についての林凡氏のブログ全文の翻訳は以下を参照ください https://bakumatusanpo.seesaa.net/article/201208article_2.html