静岡1日目 東軍慰霊祭

第21回戊辰役東軍殉難者慰霊祭に参加した。 この慰霊祭は元新人物往来社社長・大出俊幸氏の主催で、平成4年以来毎年、各地の戊辰戦争激戦地において東軍戦没者の追悼を行ってこられた。 今年の慰霊祭の開催場所は、静岡市の蓮永寺。
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蓮永寺は、家康の側室お万の方が再興し家康の三回忌を執り行った由緒あるお寺で、墓所にはお万の方の供養塔もある。
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お寺には家康とお万の方の位牌もあり、また幕末三舟の書を所蔵している。 勝海舟の扁額  異域唱導霊窟
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高橋泥舟
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勝海舟(左)と山岡鉄舟(右)
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このお寺には多くの徳川家ゆかりの人々が眠っている。
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勝海舟の母信子、海舟の妹じゅん(佐久間象山の妻)のお墓
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会津藩士林三郎惟純(これずみのお墓)
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会津藩公用方であったが、明治期には駿府に移住し海舟と一緒に仕事をしていた。 また蓮永寺には高祖叔父・小杉直吉のお墓もある。 小杉直吉は、慶喜駿河にて謹慎するときに一緒に移住し沼津に住み、のちに明治政府に出仕し法曹界に身を置く。明治4年11月20日の司法省職員録に、 大解部 八等として名がみえる。 大審院判事を最後に駿河に戻り、静岡時代の慶喜の謡の師匠などをしながら過ごし、最後は本人の意思により駿府城を望む場所に葬られた。 ただ当時の墓地は山崩れで危なくなったため、今は同じ境内の現在地に移葬されている。 写真は慰霊祭を契機に、小杉直吉のお墓に集まった直吉の兄弟姉妹の末裔たち。
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左から、姉・鋹(とし)、直吉(なおよし)、弟・雅之進の各々の末裔。 姉・鋹は幕臣河島由路に嫁ぐ。由路は16歳の息子と親子で彰義隊に参加し、黒門詰にて被弾しその晩に死去している。 弟・雅之進は開陽丸機関長として榎本武揚に従い箱館戦争を戦うが、最後は五稜郭で降伏し、後に明治政府に出仕する。 肝心の慰霊祭は、大出俊幸氏の主催者挨拶から始まり、中島三郎助のご子孫恒英氏の祭文奉読、蓮永寺・松村日尭貫首の読経、参加者皆さんの焼香と厳かに執り行われた。 大出俊幸氏の主催者挨
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中島三郎助のご子孫恒英氏の祭文奉読
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続いて、加藤筑紫守ご子孫の加藤健太郎氏による「壮士の墓」の詩吟の奉納
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最後に、国立歴史民俗博物館総合研究大学院大学の樋口雄彦氏による記念講演「戊辰戦争 生き残りたちの静岡」
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初めて知る内容が多く、教えられることが多かった。 あとは場所を替えて楽しい懇親会。
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まず最初に、新門辰五郎が伝えた、木遣り歌
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まといを思う存分高く回すには会場の天井が低すぎた。
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今回の慰霊祭を機会に蓮永寺で先祖縁者の墓参りができたこと、彰義隊士のご子孫と知己になったこと、戊辰150年に向けての提案ができたことなどなど、僕にとっては実り多い日々でした。大出さんはじめ実行委員の皆さん、どうもありがとうございました。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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