11/23に朝来市生野で開催された生野義挙150年の記念式典に参加した。翌日は山口護国神社での墓前祭に参列し、そのあと、用意された史跡めぐりで通常は非公開の屋敷の見学をする機会に恵まれた。
11/23は、
第1部: 記念式典、
第2部: 児童劇「ふるさと生野物語」、
舟久保藍さんの講演「天誅組と生野の変」、
一坂太郎氏の講演「奇兵隊と生野義挙」
懇親会
11/24は、
山口護国神社にて墓前での慰霊祭
史跡めぐり:西念寺、原六郎生家、延応寺など
11/23当日は、2時間半ほどかけて宝塚から電車で生野に出かけ、着いてさっそく生野書院の展示を拝見した。前回夏に訪ねた時とは展示内容が一部替わっていて、檄文など貴重な史料も展示している。
拝見している最中に携帯が鳴った。記念式典主催の朝来市の方が駅まで迎えに来ていたのを知らずに、一人勝手に書院まで来たため、探していたらしい。式典の開始前から申し訳ないことをしてしまった。
展示を拝見した後、あまり時間もないので記念式典が行われる生野マインホールにて受付を済ますと、そのまま待合室に通された。既に室内には、生野義挙に参加した平野二郎(國臣)、北垣晋太郎(国道)、中島太郎兵衛・黒田与一、小山六郎の縁者の方々が集まっておられ、僕が最後の一人だった。
待合室では、今回の生野義挙150年を縁に初めてお会いする小山六郎の末裔の方から、小山六郎百年忌を記念に著した伝記を頂戴した。 私家本で、兵庫県の図書館には置いてあるが他所ではあまり見ないようだ。 昨年六郎の故郷・朝来市山東町の楽音寺を訪ねたときに初めてこの本の存在を知った。小山家は江戸時代に宗家と本家に分かれたが、小山六郎は宗家、僕は本家なので、六郎との血はそれほど濃くはない。ところが僕が参加するらしいと知り、うれしいことにわざわざ僅少の本を持参して頂いた。入手困難な本なので、大切にしようと思っている。
記念式典は、朝来市長を始め市議会、教育委員会など主催者側の、生野義挙の今日的意義についての挨拶から厳かに始まった。
初めて拝見したが、式典に続いて行われた、児童劇「ふるさと物語」が素晴らしかった。
生野義挙の舞台となった代官所の跡にある生野小学校では、子供たちが歴史の勉強をしている。その成果を、今回の生野義挙150年のイベントで披露してくれた。義挙の始まりから終わりまで、30分の劇にまとめられていて内容がとてもよくできていた。子供のころから地元郷土の歴史に触れるこういう試みが、歴史をしっかり後世に伝えていくのに大事なことだと改めて認識した。
これは、生野へ到着した沢宣嘉卿が、本田素行を案内役として白石廉作を代官所に向かわせるに際して、自分の書面を白石廉作に預ける場面。
天誅組が既に破陣していることが分かっているので、挙兵を中止するか、実行するか議論を戦わせている場面
詩吟 挙兵実行あるのみとした南八郎(河上弥市)の詩歌(絶筆)
議論より実を行え なまけ武士
国の大事を余所(よそ)に見る馬鹿
なお、バックに写されている「南八郎奉献額」には、以下の絶筆が書かれている。
「奉献
議論よ里 (議論より)
實越行へ (実を行へ)
奈満希武士 (なまけ武士)
国乃大事を (国の大事を)
餘所尓 (よそに)
見類馬鹿 (見る馬鹿)
皇国草莽臣
南八郎(花押)」
児童劇のあとは、舟久保さんと一坂太郎氏の講演を拝聴した。
舟久保さんは、いつもながら論理的にしてわかりやすい。
一坂太郎氏は、なかなか本題に入らないお話でしたが、全体的にとてもわかりやすいと評判でした。
記念イベントが終了すると、場所を変えて、生野義挙150年記念の交流会が催された。
まず朝来市長の挨拶で始まる。
会場の部屋の周りには20余りの美術品が無造作に置かれているが、よくみると ロダンの彫刻など一流品ばかり。持ち主に確認すると、先代が収集家で、近くに美術館もあるとのこと。次回生野訪問時にはじっくり見学したい。
小山六郎の縁者三人
右の御夫婦の旦那さんが六郎のひ孫になる。
最後に、市長を中心に、生野義挙に参加した志士・平野二郎、北垣晋太郎、小山六郎の縁者で記念撮影をした。
舟久保さんとは、何回かメールで話したことはあるがリアルには初めて
一坂氏とも初めてお会いする
翌11/24は、山口護国神社にて、墓前での慰霊祭に参列した。
実は、義挙参加志士の末裔達が参列しての墓前祭は50年ぶりらしい。
当日11/24は新暦では生野義挙が破陣した日にあたる.。その意味でもこの日に合わせて慰霊を行ったことは大いに意義がある。当日は、明治4年に自刃した小山六郎の月命日でもあり、なにか因縁めいたものを感じた。
南八郎はじめ奇兵隊士など9名の志士が参加し自刃した長州からも、野村萩市長が駆けつけ挨拶をされた。
ちょうど生野は紅葉がきれいな季節だったが、11/24の破陣当日、逃亡する志士たちにはこの紅葉を見る暇があったのだろうか。ふと当時を慮ってしまった。
墓前祭のあとの史跡めぐりでは、特に前から見学を希望していただけあって、義挙に参加した進藤俊三郎(原六郎)の生家の印象が強い。
非公開の屋敷なので今まで見学する機会がなかったのだが、イベントを切っ掛けに念願の見学ができ喜んでいる。持ち主は東京におられ、管理は現地の方に任せてはいるのだが、いつも見学ができるわけではない。
進藤家はもともと猟師でもあり鉄砲を扱っていたので、生野義挙での俊三郎は軍需物資の入手を主な役割とした。
破陣後は、因州屋敷に匿われ、のち長州に逃れ遊撃隊に参加し、戊辰戦争で活躍する。明治時代には欧米に留学し、帰国後は企業家として成功した。
大河ドラマ「八重の桜」でも、同志社大学設立資金の東京での募金の場面で、大金を援助した原六郎の名前が募金帳に見えていた。
このイベントの2日間は、生野義挙150年という節目を契機に、小山家の親類の方々を始め多くの方とお会いでき、とても満足した時間を過ごさせていただいた。
準備には大変な労力を費やされたことと思います。このイベントを企画し、実行された方々に感謝申し上げます。
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