静岡3日目 久能山東照宮

静岡訪問3日目に、久能山東照宮へお参りした。 東照宮では、明治29年から33年までの4年間、宮司を務めた松平健雄夫妻が暮らしたあとを訪ねた。
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松平容保の次男健雄は、明治6年10月6日に生まれているので、宮司として着任した時は24歳。このとき宮橋姓であったが、久能山にいる間に松平姓に復している。 健雄の妻の杪(すえ)は、慶喜の謡の師匠でもあった幕臣小杉直吉の三女。嫁入り前に本郷に住んでいた時は本郷小町と評されており、高祖母鋹(とし)の姪にあたる。 東照宮では確かめたいことがあった。 久能山東照宮への道は、現在は、麓から参道の石段で登るか、日本平よりロープウェイで渡るしか方法はない。 しかし健雄夫妻の時代、石段だけが東照宮へ行く唯一の方法だったのか、僕の関心事はここにある。 久能山東照宮を守護した幕臣たちが眠る、久能山麓の宝台院別院にて確認すると、別院の横の道から東照宮までの細い道が昔はあったが、いつの頃からかその道はなくなってしまった。 東照宮社務所で確認すると、この別の道の存在を知っている人はいなかったが、一人だけそういえばと思い出してくれた。 昔その道はけもの道であって、昭和40年頃の集中豪雨により道が崩れてその後廃れてしまった。 僕の関心事は、その道は人力車が使えたかどうかなのだが、道が狭く急峻だったので人力車は使えなかったはずとのこと。 松平健雄が会津伊佐須美神社宮司として久能山を去る時、当時はまだイチゴは観賞用だったが、今までの礼として車夫の川島常吉にそのイチゴ苗を譲る。 川島はその苗をいろいろ工夫して、現在の石垣イチゴとして育て上げる。 この逸話から、当時人力車が東照宮まで来ていたのではないかと調べているのだが、まだ確認はできていない。 また別件の調査で、当時の社務日誌を見せていただきたいとお願いしているのだが、かなり昔の古いものなので学芸員の手空きの10月中ごろにならないと手元に届かないとのこと。 今回食べ損なったイチゴを次回訪問時には味わってみようと思っている。 社務所 昭和60年に建て替えている
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楼門 元和3年(1617)の建造
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楼門に掲げられた「東照大権現」の額
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家康公の手形 手を合わせてみたが、 身長が低いだけに現代人と比べると意外と小さい
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この鳥居は三代目になる
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青銅製でピラミッド工法で作られている
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五重塔明治6年神仏分離で取り払われた。 五重の塔は海からも見えたという
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神馬 普通の馬よりも足が短い
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奥の拝殿の前にある、唐門
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唐門 後ろに拝殿と本殿がある
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久能山で一番古く大きな楠 下のほうで二つの分かれているが、幹回りは20mはあるという 神庫の横にある
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拝殿と本殿
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本殿の様子も素晴らしい
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神廟(家康公の墓所)への入り口
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神廟
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東照宮を見学したあとロープウェイに乗って日本平に渡り、富士山、駿河湾三保の松原を見渡せる絶景を眺めた。 この景色は昔見た覚えがある。小学生の頃、銭湯で見た風景なのだ。 日本人が好きな景色の一つで、これからもぜひ大事にしていきたいものだ。
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