「 平成の龍馬 東海道をゆく!
~ 京から江戸ヘ龍馬立志の道 550キロウォーク ~ 」
に参加して、11月23日から12月11日まで19日間で旧東海道を歩いてきた。
コースは、三条大橋から日本橋までの東下り。
参加者は23名、内訳は年齢は20代1人、60代6人、70代15人、80代1人、平均年齢は71歳 (22歳の青年を除くと73歳)。
かなりの高年齢集団だが、僕と22歳の青年以外の21人は、ウォーキング協会のメンバーであり、日ごろから歩くのには慣れている。
中には、地球を一周も二周もしている人も半数はいる。
僕と青年は遠距離連続ウォーキングは初めて。
今回の歩く予定のペースは5.5キロ/時間。
今回の旧東海道東下りの、ぼくの目的は明確だ。
長府藩士の三吉慎蔵は慶応2年1月に薩長同盟の見極めのため上京した折、龍馬と京都伏見の寺田屋にて生死を共にしたことで、龍馬に信頼され二人は盟友となる。その龍馬が歩いた道を歩こうという今回の企画が発表され、以前より旧東海道を歩いてみたいと常々思っていたので、この企画に飛びついた次第。
先祖調査の一環として、先祖の歩いた当時の街道はどんな道なのか、自分の足でぜひ確認したいと思っていた。
三吉慎蔵は、幕末時2回、側近として参勤の藩主に同行し、また明治期には東京から京都へ陸行もしている。
一方、幕臣側では、小杉直吉は長崎奉行調役として何回も現地赴任のおりに街道を行ききし、弟の雅之進も長崎海軍伝習所に入所する際に東海道を歩いているようだ。
またオランダ通詞では、ケンペルの日本情報収集に協力した、のちの大通司今村源右衛門や、シーボルトの通訳官も、江戸参府に同行し東海道を歩いている。
今回の東海道を歩く目的の一つが、先祖縁者の彼等がどんな道を歩き、どこに宿泊し、どんな風景を見ていたのか、それを確認するため。
11月23日の三条大橋からの出立に先立って、
前日の22日に、京都市国際交流会館にて結団式が行われた。
結団式は、今回の参加者の紹介、橋本邦健会緒の挨拶のあと、
来賓の門川大作京都市長の祝辞があり、
、
尾崎正直高知県知事(代読)の祝辞と高知県の旗の贈呈があった。
旗は来年3月4日に開幕される高知県の幕末維新祭を伝える旗で、今回の東海道ウォーキングの最後尾で常に掲げれることになる。
続いて、宮川禎一氏の「阪本龍馬が越前福井へゆく」の講演と
風人社代表の大森誠氏による「1万分の1の地形図で東海道を歩く」の講演が行なわれた。
この日は、宇多野ユースホステルにて前夜祭があり、そこに宿泊した。
明日11月23日は、いよいよ三条大橋を9時に草津に向け出立し、地図を頼りにいよいよ旧東海道を歩く。
12月11日に日本橋に到着、そのあと旧土佐藩邸のあった東京国際フォーラムにて15時に解散の予定。
実はこれまで本格的な山登りも、連続の毎日の遠距離ウォーキングをしたことがない。
そこで、旧東海道を歩くにあたって、事前にトレーニングをした。
目的は体力作りと、ウォーキング靴の選定。
期間は9月8日~11月13日の間で、結果は以下の通り。
①宝塚から有馬温泉 13キロ ⅹ14回 =182キロ
②三条大橋から草津 25キロ ⅹ 5回 =125キロ
計 約307キロ。
旧東海道550キロとして、約半分の距離をトレーニングで歩いていたことになる。
③体重は69キロが63キロに減量した。
取りあえず準備訓練は十分したつもりなので、全く問題ない。
このときは、寝酒のブランデーをどう持っていくかに頭を悩ませていた。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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