山本寛斎さんが7月21日に亡くなられた。
ご冥福をお祈りいたします。
寛斎さんには、以前2003年に、意外なところでお会いしました。
僕が幕末に興味を持ち始めたころ、京都で会合がありついでに近くの史跡を回ってきた時のことです。
西本願寺、島原(大門、角屋、輪違屋など)、壬生寺、八木邸、前川邸、光縁寺の順で回りました。
八木邸で、芹沢鴨、平山五郎、平間重助が襲われた当時のままの部屋で見学していると、タクシーの運転手と若い女性連れであらわれたその人は、家の人に色々と質問していました。
何故新撰組が八木邸を屯所にしたのか、芹沢鴨はどのように殺されたのかなど。
八木邸の離れに位置する茶屋で一服した後タクシーで去っていきましたが、僕が近くの光縁寺で山南敬助などの墓参りをしていると、偶然にまた現われ連れの助手らしき女性に沖田の有縁者の墓を教えていました。
話し掛けられ訪問理由などを聞かれたため説明し今は彰義隊を調べていると話すと、相手も実は明日は上野の彰義隊を調べに行くとのことでした。またどこかで会いましょうと別れましたが頂戴した名刺は「山本寛斎」で、HPはwww.kansai-inc.co.jpです。
彰義隊の後は五稜郭まで行く計画とのことで、近々皆がびっくりするような大掛かりなイベントをするとのことでした。
実はこのイベントこそ、寛斎さんが 構想から上演まで30年も温めてきた 作品で、翌2004年に 武道館でアボルダージュ「-接舷攻撃ー」として上演されました。
一部が以下のyoutubeで観ることができます。
https://youtu.be/gpx6VL-49L8
またこれは余談ですが、
光縁寺で名刺交換したときに、僕の名刺をみて寛斎さんがいいなと一言つぶやいたことがあります。
それはドメイン名です。
寛斎さんのドメイン名は、「 kansai-inc 」で、
僕のは、「 kansai 」だったのです。
従ってHPは、寛斎さんのは、www.kansai-inc.co.jp となっています。
実は、米軍のネット技術が公開され、そのネット技術が世の中でインターネットとして使われだしたときに、
当時、関西の企業の情報部門に勤めていた僕はいち早くドメイン名の登録を行い、関西電力、関西国際空港など名だたる関西系の企業を差し置いて、早いもん勝ちで「 kansai 」のドメイン名を取得していました。
企業の場合、kansai-xxxxxなどと業種を表すドメイン名を登録するのが一般的ですが、僕の勤めていた企業は海外ではその分野では「kansai」と呼ばれていたこともあり、
また今後いろんな分野に業態を広げ関西を代表する総合的な企業になってほしいとの僕の勝手な希望から勝手に取得したドメイン名でした。
早い段階で動いたからこそ入手出来たのですが、
そうはいっても、「 kansai 」は確かに世界的なデザイーナーの山本寛斎さんにふさわしく、寛斎さんにぴったりのドメイン名かもしれません。
参考:https://ameblo.jp/anemile/entry-11499010433.html
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