文化の日、谷中と湯島を歩いてきた。
江戸歴史塾と、龍馬と愉快な仲間たちが企画し、20名ほどが参加。
日中気温15度だったが、陽もあり寒くは感じなかった。
朝早く新幹線に乗ったが、富士山が非常に綺麗だった。
コースは、
谷中が、日暮里駅-->本行寺-->天王寺-->谷中霊園-->全生庵
湯島は、湯島駅-->岩崎邸-->湯島天神
案内人は菊池牧人氏で、以前、信州上田で赤松小三郎の講演を拝聴したことがある。
なかなかの勉強家で幕末に詳しい。他にも、戦国時代などにも薀蓄がある。
今回の案内も、一つ一つ丁寧に詳しくお聞きすることができた。
本行寺で永井尚志の墓、
谷中霊園では佐藤一斎、村垣範正、伊達宗城、阿部正弘の墓、天王寺五重塔跡、雲井龍雄の墓表、川上音二郎の銅像台座、南摩羽峯の墓、平野富治の碑、塩谷宕陰の碑など、
全生庵では、山岡鉄舟、石坂周造、三遊亭円朝の墓、伴士徳の墓表などを巡ってきた。
写真は永井尚志の墓と案内。
岩崎邸は二度目で、前回は洋館が改装中で和室のみの見学だけだったが、今回は全部が見れる。
小生にとって大きな収穫は洋館内でパネル展示してある岩崎邸を含む湯島の測量図と空中写真だった。
1883年大名庭園期(測量図)、1947年芝庭期(航空写真)、1966年広場利用期(航空写真)、現在(航空写真)の四つの時代の図と写真で、湯島の変遷が見て取れる。
太平洋戦争中、米軍は戦後にある本部として使用するため、あえて岩崎邸を含む周辺の爆撃を避けた。そのため、湯島の鮨屋さんの3階建ての木造建築も焼けずに残ったことになる。
https://bakumatusanpo.seesaa.net/article/200911article_1.html
湯島天神での休憩時間を利用して、天神下にあった河島家の調査を行った。
幕末時の絵図を用い屋敷の大きさを徒歩で実測した。少なく見積もって約1024㎡(約300坪)であることが分った。
また御賄方が何故この地にいたのか疑問に思っていたが、柳井堂心城院を訪れ、湯島天神下に江戸の名水「柳の井戸」が湧き出ることを知った。
おそらく、生魚を養う池の水にはこの地は御賄方の適地のひとつだったのではないだろうか。
ここで失敗がある。休憩時間を聴き間違え、懇親会の為の集合時間に大幅に遅れてしまった。
集合場所で連絡のため待っていただいたMさん、懇親会に参加の皆さん、改めておわび申し上げます。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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