先日(8/22)、京都史跡ガイドボランティア協会の主催する第23回歴史セミナーがあり、白虎隊の会の飯沼一元事務局長の講演を拝聴した。
セミナーそのものは2部構成で、
第1部は「古事記と日本の神々」(堂園光子さん 京都史跡ガイドボランティア協会会員)
第2部が「白虎隊が残したもの ”義”」(飯沼一元さん 白虎隊の会事務局長)
共に大盛況の講演会であった。
「古事記と日本の神々」で堂園さんは、
現代の日本人にはなじみが薄くなった古事記(元明天皇の勅により撰録、和銅5年・712年)を天地開闢から神代まで、男女の人間的なエロス面も含め神々を分かり易く解き明かして頂いた。
一度じっくりと古事記・日本書紀に触れ日本人の原点は何かを考えてみたい講演でした。
飯沼さんは、「白虎隊が残したもの ”義”」と題し話された。
講演に先立って、初めて飯沼貞吉と長州との関わりを明らかにした前回の京都講演の内容について録画映像での紹介があり、
その後以下の項目について説明された。
1.はじめに(時代背景と飯沼家)
2.白虎隊士の飯盛山自刃の真相
3.飯沼貞吉の長州養育説の検証
4.会津魂と長州魂
5.【白虎隊の会】が目指すもの
最近発見された資料を基に、
①白虎隊士自刃の真相 ②飯沼貞吉が宿敵長州で養育された経緯、
③貞吉のその後の生き方、などについて詳しい説明された。
飯沼さんの話は、いつもながら、なかなか分かり易く説得力のある内容でした。
詳細は以下の掲示板を参照
http://9309.teacup.com/byakko/bbs
講演前日の8/21は、白虎隊の会の京都支部2回目の会合が設定され、
「2010夏 納涼会」と銘打った史跡巡りと懇親会とで会員相互の交流を図った。
史跡巡りは、京都御苑を中心に以下の通り
薩摩藩邸跡 --> 蛤御門 --> 清水谷家の椋 --> 凝華洞跡 --> 鷹司跡 --> 堺町御門
●蛤御門:元治元年7月に長州藩と会津・薩摩・桑名藩とがこの門で激突した
今は西向きだが、当時は東に百メートルほどの所にあって南向きだった
●清水谷家の椋:禁裏の西南角にありこの付近で来島又兵衛が討ち死した
●凝華洞跡:病んでいた京都守護職・松平容保の仮本陣が置かれた
●鷹司邸跡:久坂玄瑞、寺島忠三郎そして入江九一が戦死
堺町御門は越前兵がかためていたため、長州兵は鷹司邸の裏門から入る
●堺町御門:越前兵が守っていたが、戦いの終盤、蛤御門につぐ激戦地となる
当時の門は、現在の位置よりも北側にあった
その後、キンシ正宗の堀野記念館で暑さ凌ぎも兼ね地ビールを堪能した後、
がんこ高瀬川二条苑で京都支部の会合をもった。
初見の会員もおられるが2回目でもあり、和気あいあいで京都の夕べを皆で楽しむ。
二次会へ向かう途中、道筋にある料亭「幾松」に立ち寄り館内見学、若女将の案内を拝聴
「幾松」の前で
司太夫の店(京都支部 本陣)にて納涼会を催して、散会した。
「こったいの店 」 司太夫
今回も、京都山口県人会副会長で京都史跡ガイドボランティア協会幹事の中村さんの企画と十全な準備で滞りなく京都集会が実施できました。ありがとうございます。
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