小杉雅之進は、前田常三郎を知っている。
咸臨丸という小さな船に同船し共に航海して修理期間も合わせ約130日間も一緒にいれば、知らないはずがない。
三吉慎蔵は、佐柳高次と浦田運次郎を知っていたはずだ。
万が一の時お龍を頼むとの、いわゆる龍馬の遺書を慎蔵が預かったのはいろは丸事件が起因であり、その事件の重要証人が当直の佐柳高次だった。
また、龍馬死去を慎蔵はお龍に知らせたが、その悲報を、海援隊を代表して長崎から下関に伝えたのが浦田運次郎だ。
小生の中では、幕臣の雅之進と長府藩士の慎蔵とが、上記の変名をもつ高次を媒介に結びついている。不思議な縁といってよい。
そう考えると、高次の出身地、塩飽の佐柳島は小生には特別な意味を持ってくる。
その佐柳島の忘年会「第15回佐柳ふるさとの会」が本日神戸であり、参加してきた。
塩飽諸島の中でも小さな島でありながら、島出身の人が毎年定期的に集まっているのは、佐柳島だけだ。
忘年会は時間が12時から18時までだが、今年はこれでも短い方らしい。
飲んで食べて踊って歌って、盛り沢山の忘年会。皆役者ぞろいで、こんな忘年会は初めてみた。
小生は次の約束があり16時には失礼したが、恐らく2次会、3次会と延々と続いたのではないだろうか。
この楽しい忘年会には、きっと来年も参加しているにちがいない。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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