会津鎮魂の旅 3日目

会津旅最終日の24日は、白虎隊の会のメンバーと飯盛山墓前祭に参列して玉串奉奠、 そのあとは、個人的に昨年と同じく院内御廟で松平家各代のお墓にお参りした。
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11時開始の墓前祭まで時間があるため、妙国寺、滝沢本陣など市内史跡めぐりをしながら飯盛山をめざす。 飯盛山では白虎隊伝承史学館を初めて見学した。 何故か、入口には容保の二男健雄の二男勇雄の写真が置いてある。、実は小生はこの写真を見て伝承史学館をぜひ見学したいと思ってしまったのである。
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戊辰戦争に関する資料展示館としては、白虎隊記念館、会津新選組記念館など市内に幾つかあり、各々展示品に特色があるが、白虎隊伝承史学館には他にはない資料が多くある。 会津藩で実際に使用されていた資料が豊富で、個人でよくぞこれだけ集めたと感心もする。 故人となった館長の奥さんからは、白虎隊記念館との関係、勇雄の写真の謂れなどを拝聴した。 ゆっくり時間をかけて見学した後、飯盛山に上る。 途中に「忠孝両全」碑がある。 じっくり読むと、会津藩・白虎隊・飯沼貞吉について、自刃の経緯を除けばよくわかる内容になっている。
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少し早いが白虎隊墓前に行ってみると、お墓の周りには幕が張られ祭壇が設えられている。 関係者や見学の方々も徐々に集まり始めていた。
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やがて11時に、厳かに墓前祭が執り行われた。
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玉串奉奠が終わると、会津高校剣舞委員会の生徒による剣舞の奉納が行われる。 待機中の生徒は、意外にもリラックスしているが、
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剣舞場への登場のときは真剣な顔になる。
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昨日も、会津藩公行列出陣式で中学生徒による白虎隊剣舞を拝見した。剣舞委員会などによる、史実とは異なる白虎隊の詩歌をもとにした剣舞を眼前にすると、伝統的な今の剣舞の内容を史実通りに変更するのは大変なことだと感じた。
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墓前祭終了後、14代当主が希望され、白虎隊自刃の地の説明版の見学をされた。
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直会のあと、午後、小生は縁戚の墓参に院内御廟に向かった。 山の下から上がっていくつもりだったが、院内に向かって歩いている途中で偶然に車で通りかかった石田明夫氏に山の中腹まで送って頂いた。 山の中は静かで誰もいない。 八代容敬公から順にお参りしていくと、これもまた偶然に、容保公の前で、後から当主がお参りに来られた。
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もちろん会津に来たときは毎回お参りされているが、今回は特別な用事を兼ねて来ている。先月ご逝去された13代当主保定氏の埋葬準備と墓誌の余白確認のためである。 容保公の横の松平家累代の墓に葬られることになる。 せっかくの機会なので、常々疑問に思っていた容保公と血縁のある方について確認させていただいた。 残念ながら答えは、当時は基本的には男性は神式、女性は仏式で葬られており、一緒には葬られていないのではないかとの答えで、小生の思いとは違っていた。 ただ確定ではないので、これは今後の調査課題としておきたい。 会津では2泊3日だが、実際は行き返りの往復は高速バスを利用したので、実際は4泊になる。 関西での予定がなければあと何日か滞在し周辺の史跡めぐりをしたかったのだが、次回の楽しみににとっておこう。 今回の旅は、「会津白虎の旅 -除幕式と会津祭り」と題して、白虎隊の会の事務局飯沼一元氏、 会津支部長真部正美氏、京都支部太夫の企画で行われ、また多くの方々にお世話になりました。 ありがとうございます。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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