熱田(宮)宿を出立し、鳴海宿を通り、池鯉鮒宿まで歩く。
広重の浮世絵では、白文印は「熱田神宮」として、6月21日に行われる馬追祭の勇壮な景を描いている。
熱田(宮)宿は、戸数2,924戸、人口10,342人(うち男5,133、女5,209)、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒から成る。「宮」は熱田の宮の略称であるが、旧藩時代は「宮」と呼ばれていた。古代以来の歴史があり、全国にその名を知られた熱田の宮は、中国の伝説にいう仙人の住む蓬莱山にあたるという言い伝えがあり、「蓬莱の宮」、「蓬が島」などとも呼ばれていた。
はじめは熱田神宮の門前町であったが、慶長6年(1601)に東海道の宿駅の制度が置かれて宿場町として、さらに名古屋が大城下町となるに従って、港町として、また遊楽の地としての性格を持つにいたった。
0822まずは熱田神宮を参拝
0854七里の渡しを見学
近くの「家康幼児幽居地」(熱田区伝馬2-13-3)は、道中から外れているため残念ながら見学はできなかった。
天文16年(1547)、父松平広忠が今川義元と同盟を結び、6歳の竹千代は今川方の人質となるところ、義理の祖父の裏切りに合い、敵方の織田信秀に銭百貫で売り飛ばされ、熱田神宮近くの豪商・加藤図書助順盛の邸宅に幽閉されていた場所。
0941山崎川を南に渡る
川の北は名古屋市瑞穂区で南側は南区、、川を渡ったところに山崎橋の親柱が建っている。
1007長楽寺前を通る,
宿駅制度制定400年記念碑(平成13年建立)が建っている。
長楽寺は、慶長8年(1603)、家康の4男勝平忠吉が病気の平癒祈願を行い無事回復した場所。
お礼として、本殿、書院が建てられた。
このあたりに塩付街道があり、星崎塩田の塩を信州に運んでいた。
1016笠寺観音
境内の宮本武蔵顕彰碑
「人質交換之処」碑
天文18年(1549)11月9日、織田家に幽閉された竹千代(家康)と今川家の囚われの身となった織田信広の人質交換交渉が成功。 東海道沿いの笠寺観音で人質交換が行なわれ、竹千代は駿府、今川義元の元に送られることになる。
1026笠寺一里塚(日本橋まで88里)を通り過ぎる。
片側しかないが、名古屋市に唯一残る一里塚。
1040三王山交差点の辺りで、歴史仲間池田氏が合流。有松まで一緒に歩いていただく。
丹下町常夜燈の前にて
この常夜燈は現在地に移転しているが、ここから東の永代常夜燈との間が鳴海宿になる。戸数847戸、人口3,643人(うち男1,792、女1,851)、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒。
1102鳴海宿本陣跡
代々西尾家が務め、幕末は下郷家が継いだ。敷地は東海道から扇川まで及び、かなり広かったという。
1122永代常夜燈
鳴海宿の東の入り口
1137間の宿・有松に入る
有松は、池鯉鮒宿と鳴海宿と間に、慶長13年(1608)に間宿として開かれた。
1227昼食をとった後出発し、有松・鳴海絞会館を訪ねるここでは、広重が描いた「名物有松絞」のハンカチを土産にGET
広重が東海道53次の図の組み物の中でその地の名産を紹介しているのは、この絞りと、水口の図の干瓢に限られる。
1237出発し、
1250豊明市に入り、桶狭間の古戦場伝説地に寄る
古戦場の所在には2説あり、もう一つは旧東海道から外れた南の、名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園(田楽坪)。
1342阿野一里塚(日本橋まで86里)を通り過ぎる。道の両側に残っているのは珍しい。
1401尾張と三河の境である境川を渡る。
1425常夜燈と、芋川うどん(きしめんのルーツ)発祥の碑
1453池鯉鮒宿の西木戸辺りに到着。
西木戸は知立神社の出口にあるが、知立神社の神主永見氏の娘が、家康の側室お万の方で、家康の次男・結城秀康を産んでいる。毎年5月15日に上野の彰義隊慰霊祭に末裔の方が参加されているので、来年の慰霊祭では訪問した話をしてみたいと思う。
池鯉鮒宿は、戸数292戸、人口1,620人(うち男876、女744)、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒
広重は、53次の浮世絵では池鯉鮒について、「首夏馬市」を描いている。『東海道名所図会』には、「池鯉鮒馬市 毎年4月25日より始まりて5月5日に終わる。駅の東の野に駒を繋ぐ事、四五百にもおよべり。」とある。常夜燈
知立神社多宝塔(重文)知立城跡
池鯉鮒は知立とも書くが、その昔は八橋といった。この八橋は、呼び名が歌枕として優雅な都人に愛誦され、富士山とあふみのみ(近江の海、琵琶湖)とこの八橋が東海の三名所に讃えられていた。
在原業平にちなむ『伊勢物語』では、「橋を八つわたせるによりてなん八橋といひける。・・。。その沢に燕子花(かきつばた)いとおもしろく咲きたり。それを見て、あるひとのいはく、「かきつばた」といふ五文字のかみにすえて、旅の心をよめ」と云ひければよめる。
唐衣 きつつ馴れにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人かれいひのうへに涙おとしてほとびにけり」
と記している。この業平の五文字を折句とした歌の蓋
参考: 風人社発行「ウォークマップ ホントに歩く 東海道」
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