契約の箱

一度見たいと思っているものがある。 いわゆる「契約の箱(アーク)」で、『旧約聖書』に記されている、十戒が刻まれた2枚の石板を収めた箱。 契約の箱は、様々に描かれてきた。 ①フランス南西部オーシュにあるサント・マリー大聖堂のレリーフに彫られた契約の箱01.jpg ②豪華装飾写本『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に描かれた契約の箱02.jpg ③契約の箱を運ぶダビデ王。16世紀前半に描かれた絵画05.jpg ④1728年出版の『図説聖書』の絵。聖書の「出エジプト記」に記載されている通り、移動式聖所の建立と聖杯を題材とした絵の中に、契約の箱が描かれている。10.JPG この契約の箱の象徴としての価値は絶大で、ユダヤ教キリスト教イスラム教のいずれの聖典にも契約の箱についての記述がある。 (出エジプト記25章10-22)には、詳しく契約の箱の仕様が定められている。 ---------------------------------------------------------------------------- 10 彼らはアカシヤ材で箱を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。 11 あなたは純金でこれを覆わなければならない。すなわち内外ともにこれを覆い、その上の周囲に金の飾り縁を造らなければならない。 12 また金の環四つを鋳て、その四すみに取り付けなければならない。すなわち二つの環をこちら側に、二つの環をあちら側に付けなければならない。 13 またアカシヤ材の棹を造り、金でこれを覆わなければならない。 14 そしてその棹を箱の側面の環に通し、それで箱をかつがなければならない。 15 棹は箱の環に差して置き、それを抜き放してはならない。 16 そしてその箱に、わたしがあなたに与える証しの板を納めなければならない。 17 また純金の贖罪所を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。 18 また二つの金のケルビムを造らなければならない。これを打物造りとし、贖罪所の両端に置かなければならない。 19 一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に造り、ケルビムを贖罪所の一部としてその両端に造らなければならない。 20 ケルビムは翼を高く伸べ、その翼をもって贖罪所をおおい、顔は互にむかい合い、ケルビムの顔は贖罪所にむかわなければならない。 21 あなたは贖罪所を箱の上に置き、箱の中にはわたしが授ける証しの板を納めなければならない。 22 その所でわたしはあなたに会い、贖罪所の上から、証しの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう。 ---------------------------------------------------------------------------- そして、契約の箱は上記の神の指示に従って、そのとおりに作られた。 十戒を授かったモーセが、神の指示に従って選んだベツァルエルに、証しの板(十戒の石板)を納める箱を指示とおりに製作させ、エジプト脱出の1年後には完成していたという。 アカシアの木を部材とした箱は、長さ130cm、幅と高さ各々80cmの大きさで各面に装飾が施され、さらに箱の内面外面は純金で覆われおり、地面に直接触れないように箱の下部四隅に脚が付けられている。 持ち運びの際は、箱に手を触れないよう純金で覆われた2本のアカシアの棒が用いられた。そして蓋(贖罪所)の上に取り付けられた羽のある2体の天使の彫像(ケルビム、単数形はケルブ)により、契約の箱が守られていた。 契約の箱には、モーセの時代に、食物のマナを納めた金の壺、アロンの杖、そして十戒を記した石板の三つが収納されたとされる (ヘブル9章4)が、ソロモン王の時代には、十戒を記した石板以外には何も入っていなかったと伝えられている (歴代志下5章10)。 この箱は、驚異的な力を秘めていた。 契約の箱を担いだ祭司たちが、イスラエルの民の先頭に立ってヨルダン川に足を踏み入れると、川の水がせき止められ、川を渡ることができた。1e86a251.jpg また、エリコの街では、契約の箱の不思議な力によって城壁を崩すことができたという。 14世紀のアイスランドの写本による契約の箱と「エリコの壁」攻略04.jpg 契約の箱とエリコの占領。フラウィウス・ヨセフス著『ユダヤ古代誌』、ジャン・フーケによる挿絵(1475年頃)03.jpg そして最終的に、契約の箱はソロモン王(紀元前925年没)が建てたエルサレムの第一神殿に到着し、厳重に保管されることになる。 しかしその後、聖書は契約の箱に関して何も語らなくなる。 ソロモン王の死後、イスラエル王国滅亡後に分裂した南のユダ王国が、紀元前587年、新バビロニアネブカドネザル二世に滅ぼされた際に、エルサレム神殿も破壊され、契約の箱の行方はわからなくなってしまう。 そのため、「失われたアーク」とも呼ばれる。   契約の箱の行方は明確ではないが、存在説はいくつかある。 主なものは、 ①第一神殿が建っていた「神殿の丘」に、まだ埋まっているというエルサレム説。 ②ネブカドネザル二世がバビロンに持ち去ったという説。 ③中世の十字軍時代に兵士が契約の箱を手に入れ、フランスに運んだとする説。イギリス説もある。 ④また、エチオピア正教会により、エチオピアアクスムの非公開の場所で保管されているとの説。 この中で、現に契約の箱があるとするエチオピア説は、以下の通り。 13世紀に書かれたエチオピア王室の年代記によると、契約の箱はソロモン王とシバの女王の子であるメネリク一世とともに、エチオピアに運ばれてきた。その際、エルサレムのソロモン神殿には契約の箱の複製が置かれたという。バビロニア人がエルサレムを略奪したとき、神殿は破壊され、そのとき複製の契約の箱も破壊されたとする。 紀元前5世紀~紀元10世紀に現在のエチオピアにあったアクスム王国は、このメネリク一世が初代で、そのため、エチオピアの人々は、自国に契約の箱が安置されていると信じている人が多い。 契約の箱は、エチオピアでは、何世紀にもわたってアクスムにあり、 アクスム王国のエザナ王は、331年にキリスト教に改宗し、その40年後に最初の教会としてマリア教会を建てる。そして1965年、メネリクの子孫のエチオピア皇帝ハイネ・セラシエが契約の箱を安置するために聖マリア教会の横に現在の礼拝堂を建立する。 従って、現在でも契約の箱はこの礼拝堂に安置されているといわれる。 契約の箱は、以前は、年に1回行われる宗教行列の際に礼拝堂から持ち出されていたが、近年は隣国エトルリアとの地域情勢が不安定のため、礼拝堂に仕舞われたままになっている。 アクスムの位置IMG_9789.JPG 現在のアクスム12.JPG 聖なる礼拝堂  アクスムの教会の助祭が、シストルムという楽器を手に、契約の箱が置かれているという礼拝堂の前に立っている。11.JPG 古代の注解書によれば、契約の箱は炎を吹き出し、地面のサソリやヘビを一掃することができたという。不信心な人間が契約の箱を見ると、命を落とすとも言われていた。 ぜひ一度見てみたいものだが、不信心な僕が見たら、そこで僕は終わってしまうのかもしれない。 追記:2019/10/11 ノーベル平和賞エチオピア首相に授与された。 受賞理由として、隣国エリトリアとの国境紛争を終結させて関係正常化を実現するなど、「アフリカの角」と呼ばれる東アフリカ地域の安定化に尽力したことが評価された。 もちろん僕は予想していたわけではないが、これで「契約の箱」が見れるようになるかも・・・・・ 参考:wikipedia「契約の箱」    ナショナルジオグラフィック「契約の箱が持つスーパーパワー」等 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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