即位礼正殿の儀

昨日は即位礼正殿の儀なので、 神戸では寄港している海王丸が満船飾でお祝いすることになっていた。 海王丸は久しぶりなので出かけで見ようかと思ったのだが、在宅してTVで儀式を拝見することにした。 それは、 同期で同じクラブ(経済新人会金融研究部)に属していた小田野展丈氏の侍従長としての晴れ舞台を見届けるためだ。 小田野氏は、 高御座の右側後方に立ち、高御座での儀式が整然と粛々と進むのを指揮し、 天皇陛下の高御座への上り下りの際にはその所作に留意し、 そして陛下のお言葉を認めた書を高御座の陛下にお渡しする場面が一番の見どころだった。00.png01.jpg05.jpg その動きにはみじんも緊張した様子はみられなかった。 とりあえず最大の儀式が無事済み、めでたしめでたし。 ところで、この即位礼正殿の儀が始まる頃に、まことに不思議なことが起きた。 自然現象と言ってしまえばそれまでだが、 儀式が始まる午後1時の直前に雨が上がり晴れ間が見え、イザナギイザナミが下界に降りるときに使う「天の浮橋」(虹と解釈されている)が東京の空の下、式典会場に架かってきたのだ。 なんだかとても厳粛でミラクルな現象をTVも介して、全国の人々が目にしたのだった。01.jpg02.jpg73515560_2795574223800148_8398234804121763840_n.jpgEHdHjaMVUAUWjRN.jpg0c4732.jpgEHdIO97UYAAfQM8.jpgEHdJYHKUwAE7KH2.jpg73141830_2583794871664501_2133947684904501248_n.jpgkogusoku-2019-10-22_05-59-19_469307.jpg 神戸では8時から、予定通り海王丸の満船飾がみられたようだ。74424874_1466510383502075_3414620268721602560_o.jpg ところで、「天の浮橋」(あまのうきはし)だが、古事記には虹との表現も記述もなく、天の浮橋を虹と見るか否かは、研究者によって意見が分かれる。 この「天の浮橋」は、古事記では以下の3箇所に記述がある。 上-2 神代記、 上-5 葦原中国の平定、 上-6 邇邇芸命 1)古事記 上-2 神代記 イザナギイザナミが天の浮き橋に立ち、最初の国・淤能碁呂島(おのころ島)を創る場面。 於是天神、諸命以、詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神「修理固成是多陀用幣流之國。」賜天沼矛而言依賜也。故、二柱神、立(訓立云多多志)天浮橋而指下其沼矛以畫者、鹽許々袁々呂々邇(此七字以音)畫鳴(訓鳴云那志)而引上時、自其矛末垂落之鹽累積、成嶋、是淤能碁呂嶋(自淤以下四字以音)。 是(ここ)に天つ神の諸(もろもろ)の命(みことのり)以ちて、伊邪那岐(いざなき)の命(みこと)・伊邪那美(いざなみ)の命、二た柱の神に、「是の多陀用幣流(ただよへる)國を修理(つくろ)い固め成せ」と詔(の)りて、天の沼矛(ぬぼこ)を賜(たま)いて言依(ことよ)さし賜いき。 故(かれ)、二た柱の神、天の浮橋に立【立を訓みて多多志(たたし)と云う】て、其の沼矛を指し下して畫(か)かせば、鹽(しお)許袁呂許袁呂邇(こおろこおろに)【此の七字は音を以ちてす】畫(か)き鳴【鳴を訓みて那志(なし)と云う】て引き上げる時に、其の矛の末より垂(したた)り落つる鹽の累(かさな)り積もれる嶋と成りき。 是れ、淤能碁呂(おのころ)嶋ぞ【淤より下の四字は音を以ちてす】。 高天原の神々は、イザナキとイザナミに「これからお前たち二人が力をあわせて、人が住めるような国をつくりなさい」と命じ、二人に「天の沼矛(あめのぬぼこ)」という剣を与える。 そこでイザナキとイザナミは、高天原に浮かぶ天の浮橋に降り立ち、どろどろとした青海原の中に天の沼矛を入れかき混ぜる。そしてしばらくして引き上げると、剣の先から一滴ポチャンと落ち、それが一つの島となる。 <淡路島では、その時に出来た島が日本で一番最初に出来た「おのころ島」と考えられるのは、①南の沼島、②北部の岩屋地区、③南あわじの榎列(えなみ)地区の3説がある。> 2)古事記 上-5 葦原中国の平定 天津神国津神から葦原中国の国譲りを受ける章の中で、天照大御神の命により、天忍穂耳命を下界を統治させるために遣わすが、天忍穂耳命天の浮橋まで来て様子を伺い、下界はとても騒がしい状態だと言って高天の原へ引き返してしまう場面。 於是、天忍穗耳命、於天浮橋多多志(此三字以音)而詔之「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、伊多久佐夜藝弖(此七字以音)有那理(此二字以音、下效此)。」告而、更還上、請于天照大神。 是(ここ)に天忍穗耳(あめのおしほみみ)の命(みこと)、天の浮橋に多多志(たたし)【此の三字は音を以ちてす】て詔(の)らさく、「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに)は、伊多久佐夜藝弖(いたくさやぎて)【此の七字は音を以ちてす】有り那理(なり)【此の二字は音を以ちてす。下、此に效え】」と告げて、更に還り上りて天照大神(あまてらすおおみかみ)に請(もう)しき。  高天原に住む天照大御神は、「葦原中国は私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)が治めるべき国である」と命に天降りを命じたが、命は天の浮橋から下界を覗き、「葦原中国は大変騒がしく、手に負えない」と高天原天照大御神に報告した。 3)古事記 上-6 邇邇芸命 天孫の邇邇藝命が、天照大御神の神勅を受けて葦原の中つ国を治めるために、高天原から筑紫の日向の襲の高千穂峰へ天降らせる場面。 故爾詔天津日子番能邇邇藝命而、離天之石位、押分天之八重多那(此二字以音)雲而、伊都能知和岐知和岐弖(自伊以下十字以音)、於天浮橋、宇岐士摩理、蘇理多多斯弖(自宇以下十一字亦以音)、天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣。 故、爾くして天津日子番能邇邇藝(あまつひこほのににぎ)の命に詔りて、天の石位(いわくら)を離れ、天の八重の多那(たな)【此の二字は音を以ちてす】雲を押し分けて、伊都能知和岐知和岐弖(いつのちわきちわきて)【伊より下の十字は音を以ちてす】、天の浮橋に宇岐士摩理蘇理多多斯弖(うきじまりそりたたして)【宇より下の十一字は音を以ちてす】、竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の高千穗(たかちほ)の久士布流多氣(くじふるたけ)【久より下の六字は音を以ちてす】に天降り坐しき。 こうして天照大御神と高木神の命により、天孫であらせられる邇邇芸命は、高天原の岩の神座から離れ、天空に重なる幾重もの雲を押し分けて、威風堂々と天下りの道をお進みになる。高天原と豊葦原国を結ぶ天の浮橋で荘厳な儀式を行われ、筑紫の日向(宮崎県)の高千穂の霊峰にお降りになられた。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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