帆船海王丸での航海

昨日4/7は、僕には特別な日だ。 もちろん小学校の入学式の日でもなく、緊急事態宣言の発令日でもない。ちょうど10年前の2010年の今日、北太平洋を渡る大冒険に出発した日なのだ。 この時僕は前日4/6に、東京湾の船の博物館の前に接岸していた帆船海王丸に乗りこんだ。4/6は事前の研修日で当航海のオリエンテーションが行われ、その晩は初めて海王丸で船内宿泊した。16.JPG14.JPG12.JPG18.JPG そして翌4/7にサンフランシスコを目指し東京湾を出帆、5/5まで一か月間の体験航海をしたのだった。30.jpg 船といえば、海釣り船や、島巡りの観光船に乗ったぐらいで、遠洋航海はもちろん初めてだったし、ましてや帆船など初めての体験だった。 この時の海王丸の航海は、150年前の咸臨丸の航跡をたどる記念イベントとして挙行されたのだが、僕は、その年の初めにイベント航海の募集を知って、何も考えず反射的に応募していた。ただ、応募にあたって咸臨丸の乗組員の子孫と書いたので、イベントの趣旨にも合ったのか、一般人12名の中に無事選ばれたのだった。10.JPG20.JPG 僕は出帆の2週間ほど前に退職し、長い企業生活のあとの非日常の世界に飛び込んだのだが、この時の体験は、その後の今までの僕の趣味の生活の礎になっているような気がしている。 この時の経験の一端は、ある機関紙に以下のように投稿した。 ----------------------------  幕府軍艦旗(中黒長旗)が、海王丸のジガーマストに掲げられた。東京を出航して28日目の2010年5月3日、ゴールデンゲートブリッジがはっきりと見え始めたときのことである。  150年前に、遣米使節護衛艦として太平洋を横断し米国へ航海した咸臨丸のマストにも、同じ中黒長旗が高く翻っていた。80.JPG  海王丸が「咸臨丸の航跡を辿る」航海イベントで出航する当日に、「咸臨丸子孫の会」が託した旗は、船体に合わせて8メートルの吹き流しに仕立てられていた。  この幕府軍艦旗が風にはためいている中を、僕たちはゴールデンゲートブリッジを登檣礼でもって通過したのだった。71.jpg70.JPG  それは、米国と米国民への礼を尽くした挨拶であり、また米国へ航海した最初の日本人船乗りたちに敬意を表したものでもあった。  このときの、限りなく青い空の下で帽子を振り、「ごきげんよう!」と発声することの、なんと気持ちの良かったことか!75.JPG  その感動も冷めやらぬ中、しばらくして達成感に満ちた気持ちでフォアマストを降りると、複数の新聞社から取材の申し込みが入ってきた。この号のトップページを飾る写真は、そのうちの一社がゴールデンゲートブリッジの近くに待ち構え撮影したものである。00.JPG  記念に贈られた写真を見ながらのインタビューでは、乗船前に実現したいと決めていた四つの目標を中心に航海の感想をお話した。 ①海王丸船内での咸臨丸の講演  航海を記念し船内での講演を計画したが、学友会活動の中で話す機会をつくり、船長以下乗組員、実習生・研修生を前に、咸臨丸の航海の意義について話させていただいた。40.JPG41.JPG42.JPGロイヤルタッチ  船乗りの子孫として、50mのマスト天辺へのタッチは必須項目でぜひ実現したいと思っていたが、研修生の希望者も多く、訓練航海の総仕上げとして望みがかなえられた。50.jpg ③帆船の舵取り  連続帆走24日の最後の日、機走に移る最後の帆走のときに、QMの御好意により、一人でウェザーホイルを任され、一時間ほど帆船の操船をするという得難い経験ができた61.jpg。 ④荒天での航海体験  低気圧の墓場といわれる北太平洋で、有名な「咸臨丸難航図」と同じ体験ができると喜んでいた。しかし荒天には何回も恵まれたのだが、暴露甲板への立入が安全第一で制限され、これが今航海の唯一の心残りとなった。  しかしその代りかどうか、研修生の登檣礼計画が持ち上がってきた。航海の最後に、またとない機会をつくっていただいた船長のご配慮には今でもありがたく思っている。  150周年という節目の年の記念航海で、ゴールデンゲートブリッジを登檣礼でもって通過した感動は、一枚の写真と共にいつまでも忘れない思い出となっている。00.JPG 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
幕末・明治時代(日本史)ランキング 絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です 励みになりますので、できれば以下のバナーもどうぞ にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村