幕府役人が定宿にしたル・グラン
40歳になったとき、会社に申請して世界一周の旅をしたことがある。
まず、アメリカ西海岸に渡り、中西部、東海岸、カナダから大西洋を越え、イギリス、ドイツ、スイス、そして最後にフランスへと続いた。
3週間ほどの旅程で、もちろん名目は仕事だ。
当時はやり言葉になっていたSIS(戦略情報システム)の現地視察。
旅の最後は花のパリだったのだが、パリではル・グランに宿泊した。
ホテルで聞いた話では、幕末の頃、幕府の役人が定宿にしていたという。
そして当時の姿を描いたものだといって、ホテルから一枚の絵を頂いた。
今もリビングに飾っている。
まさか、その絵とあまり変わらない姿を、大河ドラマ「晴天を衝け!」で再会するとは思わなかった。
絵は、いつの時代を描いたものかはわからない。
ただ、ル・グランは文久2年(1862)に完成しているので、それ以後の風景だとわかる。
このホテルに最初にとまった日本人はだれかは分からないが、
記録に残っているのでは、
元治元年(1864)3月に池田長発を団長とする、江戸幕府の『第二次幕末遣欧使節団』34名が「ル グラン」に2ヶ月間滞在している。
また、今回の大河ドラマ「晴天を衝け!」で放映された慶応3年(1867)1月にパリ万国博覧会を訪問するため、徳川昭武が使節団を率いて渡仏したときにも宿泊している。
従って、使節団の会計係・渋沢栄一、随行医・高松凌雲、通訳・山内堤雲も滞在している。
今はインターコンチネンタルホテルのグループに入って、きれいに改装はされているが、彼らが食事をしたサロンは、今も現役で使われているようだ。
この由緒あるホテルは、今もその格式は衰えていない。
ちなみに、第一次遣欧使節が滞在したのは、Hotel du Louvre。
こちらのルーブル・ホテルは、安政2年(1855)に完成しており、パリの中でも歴史あるホテルの一つ。
福沢諭吉『西行記』によれば、文久2年(1862)「三月十日、昨晩巴理斯に着。旅館ホテル・デ・ロウブルに止宿す。」とある。4月1日朝まで滞在している。
写真は、最初の3枚以外はSNSから拝借。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
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