小杉辰三と神戸製鋼所

昨日、神戸製鋼所の本社を訪問した。
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神戸製鋼所は、小杉雅之進の養子・小杉辰三が創設に関わった。
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小杉辰三は、海軍兵学校15期で卒業席次は80人中2番、1番は後の海相財部彪。
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神戸製鋼所創設に関わる直前は、海軍造兵少佐(海軍省技監)として呉工廠にて製鋼事業に携わっていたが、創設に当たり海軍を退官している。 退官依願書の下書き
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神戸製鋼所は社史として、過って節目の年に「神鋼三十年史」「五十年史」「八十年史」を編集発刊してきた。昨日は、七年ほど前に発刊された最新の「百年史」を拝見し、過去の社史との比較で、辰三の神鋼での現在の評価を確認したいと思って出掛けてきた。
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社史は、その節目の年に編纂されるが、色々な編纂形態がある。 簡単なのは、前回の社史以後の今までの活動内容を付け加えて、現在の社史とすること。 神戸製鋼所の社史は、発行の都度、新たに編纂し直し、章によっては新たに書き換えられている箇所もある。 特に「五十年史」は、戦争中の爆撃で資料が全く焼失し、社史を作るにあたって新たにOB・社員のヒアリングや情報提供をもとに一から作り直したという特殊な例である。 当日は事前に用件を予告していたので、親切に案内いただき、ありがたいことに該当箇所のコピーも頂いた。 僕の関心事は、神戸製鋼所の創業時代のことで、明治38年(1905)に鈴木商店が資本参加し「神戸製鋼所」として創業した前後に、実際には何があったのかということの確認。 神戸製鋼所の前身としては、「小林製鋼所」がある。 この製鋼所は操業してⅠヶ月で、譲渡された。そのわけは「百年史」にも記載がある。 「百年史」の「1 神戸製鋼所の創業」の最初に「小林製鋼所の創業と失敗」として、 「東京で書籍業を営む小林清一郎は、知人の呉海軍工廠に勤務する海軍省技監の小杉辰三に勧められ、製鋼事業への進出を決意した。・・・・イギリスから技術者を招き、小林や小杉たちも1年間留学して製鋼業を学ぶ力の入れようで、(明治38年)9月1日の開所式も遠方から来賓を招き『小林製鋼所』として颯爽とデビューするはずであった。ところが、出鋼の合図とともにシーメンス炉から流れ出た溶鋼は、取鍋の半ばを満たしたところで固まり、湯道も黒くなって完全にストップしてしまった。取鍋の溶鋼すら回収できない状況となり、一転、目も当てられない完全な失敗となった。その後も全く操業できない状況が続き、小林は1ヵ月も経たずに開業間もないこの工場の身売りを決意する。」とある。 そして、鈴木商店が資本参加し、「神戸製鋼所」と看板を換えて再スタートする。辰三も初代技師長として引き続き勤務した。
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神戸製鋼の前身の「小林製鋼所」のこの話が、「三十年史」には出てこない。 操業してまだ30年であり、このときは呉海軍工廠のバックアップと発注で事業が拡大している最中であったこと、またおそらく辰三など関係者が存命していたことなどであろうか、「小林製鋼所の操業と失敗」については記述がない。 昭和29年(1954)発行の「五十年史」で初めて、2ページを割き詳しく失敗に至る顛末が書かれている。むしろ最近発行の「百年史」は概要になっていて、事実を詳しく記述していない。 ところで、神戸製鋼所は、鈴木商店の資本で事業を再スタートさせたが、4年間は経営不振が続く。 「五十年史」によれば 「三十九年に至ってようやく作業は軌道に乗ってきたが、経営の不振は容易に打開されず、幹部の努力にもかかわらず毎月赤字一万円を計上していた。 この最中に職長の不正が発覚し、経営主導権を握っていた鈴木商店の支配人金子直吉は人心の刷新と新進抜擢の案を立て、断行することになったが、所長の田宮嘉右衛門と小杉とが意見の一致をみず、小杉は辞職する。 神戸製鋼所創設の立役者小杉辰三は発足後わずか1年にして退所するに至ったが、当初の失敗はあっても、彼の残した技術は神鋼の今日に至る基礎をなすものにして、神鋼史に長く消えないものがある。」 と、辰三について高い評価の記述がある。 また、「八十年史」によれば、鈴木商店の支配人金子直吉は、 「神戸製鋼所は専ら小杉君の計画に成るものであるが、其設計は誠に用意周到なるものであって、 今日製鋼所が鋼の質に付絶大の信用を有する遺留の如き亦一つであり、実に同君の賜物である事と思はざるを得ぬ。」 と高い評価を残している。 但し「百年史」では、紙数の関係か、残念ながら「五十年史」、「八十年史」に記述がある辰三の技術の高い評価への言及がカットされている。 小杉辰三は、大正2年に、亡父仙台藩士烏組隊長・細谷十太夫が復興せんとしてできなかった林子平墓所のある龍雲院へ匿名で2万円を寄付する。この2万円は株式だったが、騰貴し2万円を超過したという。龍雲院は大正8年4月に完成する。 辰三は、昭和8年(1933)、65歳で波乱の人生を閉じている。        晩年の辰三
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小杉辰三夫婦は、大雄寺で小杉雅之進夫婦と一緒に眠っている。
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なお、辰三の死の翌年は神戸製鋼創業30周年にあたり、辰三に感謝状が贈られている。
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