先日上京の折、3/20に東京大学にお邪魔した。
目的は2つ。
一つは、上野戦争で新政府軍は加賀藩邸から彰義隊に向け大砲を打ったが、その場所の確認と、今一つは、山上会館で開催される、「アースウォッチの集い2013」での講演を拝聴すること。
この日は東京では桜が咲き始め、上野でも花見の人出が多かった。
上野彰義隊墓地内の桜
元加州大聖寺藩江戸屋敷址の桜
安田講堂と枝垂れ桜
さて、彰義隊関係はさておき、講演を拝聴したアースウォッチだが、
環境NGOの一つで、重要な環境問題の解決に情報を提供する野外調査を支援し、精度の高い科学データベースを構築することを目的としている団体で、
昨年に理事長が交代し、それを記念して新理事長による記念講演会が開催された。
僕が地球環境の保護に関心を持ったのはそんなに古いことではない。
もちろん、オゾン層の破壊や地球温暖化の進行などをみてエコやクリーンエネルギーに気を付け、会社でのISO活動、日常生活でのごみの分別の実施を通して自ずから無関心ではいられない環境にはいた。
しかし3年前に驚かされたことがあって、関心が大いに高まったのも事実だ。それは、帆船海王丸に乗船して、船上でのごみの多くは海洋投棄による方法で処理することを改めて知ったことだった。
海王丸では通常、実習生100名、研修生10名、船員40名の150名ほどが生活している。
これだけの船上生活者がいるので、遠洋航海では、たとえば東京~サンフランシスコでは、航海はノンストップで30日間を要し、この間に出るごみは半端な量ではない。
育ち盛りの若い実習生の身体は、毎日の帆桁回し、畳帆・展帆のためのマスト上りなど、人力での操船のために、大量の食料を要求し、従って生ごみも大量に出る。
また、毎夜の懇親には、大量のビールの空き缶が生まれる。
もちろん、地上と同じように、いやもっと厳しく、航海中の船上では、生ゴミ、紙類、プラスティック、ビン、缶など細かく分別をしている。
分別したごみ処理の方法としては、生ごみは魚のえさとして自然に帰し、ビンは砕きプラスティック類は圧縮して陸に持ち帰るが、缶は陸から定められた距離で海洋投棄する。
船に乗ったことがなかった僕には、特に缶を海中に投棄するというイメージがなかった。もちろん、缶は器械で圧縮し、海中に投棄しても海底に沈んではいくが、この処理に携わりながら地球を汚しているであろうことは間違いがないと思っていた。
こんなことから、海中・海底が気になり始めて、地球環境の保全に更に関心を持ち始めたのだった。
そんな中で、アースウォッチ・ジャパンの活動を知った。
アースウォッチは、約40年前の1971年にアメリカ・ボストンで誕生した。
世界各地で、時間・資金・人手を要する地道な野外調査を「資金と人手」の両面で支援し、野外調査へのボランティア派遣活動では世界で最も古く、最も信頼されている国際NGOである。
日本支部としてのアースウォッチ・ジャパンの設立の経緯は、
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊したまさにその当日に、ベルリンで開催されていたローマクラブの会合に始まる。
この会合に唯一の日本人のクラブ会員であった難波菊次郎が参加し、講演者としてボストンから招待されていたEarthwatchの創設者、BrianRosboroughに出会い、その活動、ミッションに大きく共鳴する。
菊次郎は数年にわたる本部との折衝を経て、1993年にアースウォッチ・ジャパンを立ち上げ、初代理事長に就任し、その後も永年にわたり組織の先頭に立ってその活動の定着に注力した。
2003年には特定非営利活動法人の承認を得て今日に至っている。
僕は個人的には、地元の宝塚で、武庫川沿いにある、絶滅危惧種「カワラサイコ(河原紫胡)」の保護に取り組みたいと思っていて、自然保護の団体を探しているときに、このアースウォッチ・ジャパンにたどり着いた。
驚いたことに、今は亡くなっているが、その初代理事長が、縁者の菊次郎だった。
ビジネスで成功し、多くの団体に関わって活動していることは知ってはいたが、アースウォッチの日本支部を設立していたことは、初めて知った。
昨年末に先祖調査を兼ねて多摩霊園で会津松平家の墓地にお参りしたとき、難波菊次郎は墓誌の最後に刻まれていた。
僕はこのいくつものの偶然に驚きもし、そしてこれらがきっかけで今回のアースウォッチの集いに初めて参加したのだった。
帰宅してからいただいた同じ宝塚出身の事務局長からのメールによると、アースウォッチ関西の集まりも近々始まるらしい。これからこの方面での活動にも微力ながら協力していきたいと思っている。
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