再放送が始まった。
第一回めの舞台は、文政7年(1824)の江戸。
のちの明治天皇の曽祖父になる、9代藩主・松浦清(静山)が、ドラマでは、前藩主として登場する。
平戸藩はかつては、貿易で栄えた土地柄であったが、貿易窓口が長崎に統一されたため財政が窮乏する。開国を目指す平戸藩と、それを疑う幕府との対立がベースにあるという設定になっているようだ。
松浦清は、藩主のときに藩政改革に乗りだし、藩校・維新館を建設して人材の育成に務め、藩政改革を実行する。
この「維新」という藩校の名称については、幕府より問責を受けるが、校名はそのままにしている。校名の「維新」は、明治維新と同じく、『詩経』の一節に由来すると言われている。
平戸藩といえば、中山忠光卿の奥方は、10代藩主・松浦熈の娘富子といわれる。
(2016/10/6追記: 但し、忠光は正式に誰とも婚姻しておらず、この説は根拠がなく間違いである可能性が極めて高く、松浦熈にも娘に富子の名は見当たらない)
松浦熈は文化3年(1806)11月に父清の隠居により家督を相続するが、天保12年(1841)閏1月には隠居して長男の曜に家督を譲っているので、嘉永元年(1848)生まれであれば富子は隠居の時の子になる。
忠光は松浦清の孫(清の十一女・愛子が母親)であり、仮に富子も松浦清の孫(清の三男・熈が父親)であるとすると、孫同士の婚姻となる。
個人的には、高祖父の幕臣・河島由路の妹が、嘉永元年頃に平戸藩江戸留守家老に嫁しているので、何とはなしに、平戸藩には愛着というか親近感はある。
そんなわけで一度東京で、平戸藩関係の史跡めぐりをしてみようかと思っている。
追記:2016/10/6
中山忠光卿の奥方は松浦平戸藩10代藩主・松浦熈の娘富子で正しいのか、松浦史料博物館に確認したところ、松浦熈に富子と呼ばれ得る娘がいるとの史料はないとのこと。
従って、中山忠光卿の奥方は松浦熈の娘富子であるとの説は、明らかに間違いあると思われるため、訂正いしたします。
本文は直しておりません。
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