古文書を読む会

神戸史学会主催の講演会で、酒史学会会員の石川道子さんの講演「尼崎城下の江戸積み酒造業」を拝聴した。
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主な内容は 1)酒造郷尼崎の地域、 2)江戸積み酒造業の起こり、 3)尼崎郷の江戸積み酒造家、 4)尼崎郷の酒造家と酒株の移動、 5)今後の研究課題 講演は、 ①家康が江戸に開府したことにより人口が急速に集中したため、必要物資が不足し上方から江戸に運んだ(江戸積み) ②中でも酒は貴重品で、運搬に適した日持ちする・腐らない酒(清酒)が家康開府前後に開発された ③最盛期は江戸市民100万人が消費する酒の8割り前後120万樽/年が上方から運ばれたが、その上方の酒造郷として、摂泉十二郷の一角に尼崎郷がある をイントロとして、清酒の造りから、本日のメインテーマの尼崎郷の江戸積み酒造業の詳細へと話を進められた。 今回の講演は、尼崎市立地域研究史料館紀要「地域史研究」110号の掲載された石川さんの論文「尼崎城下の江戸積み酒造業」をベースにされている。 実は、史料館には尼崎の酒造史料が全く残っていない. 尼崎市民ですら尼崎で酒を造っていたのを知る人は少ない。 尼崎郷は摂泉十二郷の一角を占めているが、その具体像はこれまで分からなかった。 尼崎の酒造と酒造家・廻船問屋、江戸に常駐した尼崎の問屋の代理人の存在など、実態が分かったのは最近のことである。 江戸時代の川辺郡米谷村(現在の宝塚市米谷)の庄屋和田家の家屋が阪神大震災で半壊した。 宝塚市で一番古く350年前と推定される家屋だが、修理費用が億以上と見積もられ、そのため現在の当主和田氏は宝塚市に寄贈され、宝塚市が修復した。今は和田家住宅として一般公開されている。 このとき、蔵の中にあった4800のの古文書も同時に寄贈され、その古文書を読む会が発足して、10年程前から古文書を解読してきた。 この古文書の中に尼崎郷の酒造業についての資料が発見されて、その分析結果が論文として掲載されたという経緯がある。 上方から江戸まで大量の物資を運ぶのは海運による。 当時使われた運搬手段としての菱垣廻船・樽廻船について、古文書に詳細が記述されているかは論文も目にしていないので、分からない。 ただ講演の中で、大坂から江戸まで、通常は7~10日で運べるが、一番長いものでは3か月を要した例があるとの言を見ると、日持ちする清酒の話と共に、船についても古文書に記述があるようだ。 実は今年に入って古文書を読む会の存在を知り、先月から参加し始めた。 月一回の会読だが、幕末からみの文書に出会えるのを期待し、楽しみにしている。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
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