先日、5/29-30に、「船の祭典2010」を開催中の塩飽諸島の本島と佐柳島を、咸臨丸子孫の会幹事方 藤本増夫さんに同道し訪れた。
塩飽諸島は初訪問のため観るもの聞くもの新鮮で、本島は藤本さん、佐柳島は鉄五郎さんに案内頂き島内を巡った。特に、塩飽独特の両墓制のしきたりは大変珍しく、興味深く拝見した。
人が亡くなった時、遺体を埋葬する墓(埋め墓)と石塔を建てて霊魂を祀る墓(詣り墓)の二つの墓を作る風習を両墓制という。
佐柳島の長崎自治会長によれば起源は7-800年前に遡るらしい。
埋め墓は、亡くなった住民の遺体を海辺の近くに埋め、石を積み重ねるだけにし、年月が経つと遺骨は自然に還る。
船乗りは島で死ぬとは限らない。そのため遺骸がない場合、空墓を作ったがそれが詣り墓に変じたらしい。詣り墓は、家族の者がお参りがしやすいように埋め墓よりも家寄りに作られる。
たとえば、坂本龍馬の仲間であった佐柳高次は、佐柳島本浦の村はずれの海岸寄りに埋め墓があり、乗蓮寺に詣り墓がある。
桑港で亡くなった咸臨丸水夫の富蔵の場合は、桑港コルマが埋め墓であり、乗蓮寺には詣り墓が作られている。
塩飽諸島は瀬戸内海の中心にあり、希有な地政学上の場所を占めていて、歴史上代々の政権と密接な関係を築き繁栄した。
享保の改革以後は衰えるが、ペリー来航後も、航海術・操船術にすぐれた水夫は各地で重用される。
咸臨丸の太平洋航海の時も、乗り組んだ50人の水夫のうち、35人が塩飽出身者だった。
今年2010年は「咸臨丸渡米150周年」で日米各地でイベントが開催されている。
「船の祭典2010」は、、古代から近代にいたる物流の大動脈としての瀬戸内海の物流システム、操船技術、それらを支えてきた人たちの足跡を見直し、塩飽文化が日本文化に与えた影響を考えることをテーマとしている。
中でも塩飽諸島公開討論会では塩飽水軍、咸臨丸と水夫などに焦点を当て、以下の通り、本島と佐柳島で講演会が開催され、また別に粟島でも講演会の開催が予定されている。
1)本島会場
テーマ:塩飽水軍とそれを利用した人たち
日時: 5/29(土)
話題提供者:
①「人名を支配した人達(生駒藩の盛衰との因果関係)」
笠島人名会会長 高島包氏
②「塩飽水軍とそれを利用した人々(時代を彩った権力者の盛衰)」
史跡塩飽勤番所顕彰保存会会長 吉田敏彦氏
③「咸臨丸を操船したひとびと-塩飽水夫35人の活躍とその後」
元史跡塩飽勤番所顕彰保存会会長 入江幸一氏
2)佐柳島会場
テーマ:咸臨丸とそれを支えた人達
日時: 5/30(日)
場所:佐柳公民館
話題提供者:
①「咸臨丸とそれを支えた人達」
咸臨丸子孫の会幹事方 藤本増夫氏
3)粟島会場
テーマ:瀬戸内水運と海の文化を支えた人達
日時: 6/5(土)
場所:旧粟島海員養成所講義棟(大教室)
話題提供者:
①「瀬戸内の物資輸送と港津の繁栄」
三豊史談会代表 橋詰茂氏
②「瀬戸内海運の発達と祭礼文化」
③「粟島海員補習学校の設立と近代海運業界への影響」
詫間町公民館第7分館長 中田勝久氏
佐柳会場での内容については、翌日以下の新聞に記事が掲載された。
本島と佐柳島の講演は、いずれも小生の知らない話が多く、興味深く拝聴した。講演者の皆さん、ありがとうございました。
塩飽諸島、佐柳島については、「さなぎ島郷土史掲示板」が詳しい。
http://asp.atomicweb.co.jp/id/noburin913/bbs/
「 人気blogランキング 」 に参加しました。よろしければ押してくださいませ。
絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です
励みになりますので、できれば以下のバナーもどうぞ