nakaさんの御教示を受け、京都府立総合資料館に調査に行ってきた。
資料館が保存している行政文書に「大村兵部大輔旅寓江致乱入候暴人吟味」という文書が2巻ある。
明治2年の大村益次郎遭難の時からその後始末までの一件書類で読みごたえがある。
但し、全編に亘って、益次郎の遭難場所は、せいぜい木屋町大村兵部大輔仮寓、旅寓とあるだけで場所の特定はできない。
また、遭難場所が特定出来る可能性のある遭難時の明治2年9月4日の肝心の文書は虫食いで読めない。
虫食いで読めなくなる前に、同じ行政文書の「京都府史」中の「刑賞類附録 特裁刑典事類第二 大村兵部大輔負傷事件」に、一部書き写されているが、肝心の9月4日の文言は何故か書き写されていない。
というわけで、残念ながら、京都府立総合資料館にある資料では、遭難場所特定のヒントになる文書には、努力不足もあり今のところまだお目にかかっていない。
「大村兵部大輔負傷事件」に記述されている大村益次郎の遭難場所の旅寓について、今まで他の資料にない記述は以下の通り。
①「木屋町水亭に寓す」
②「當藩抱屋敷樵屋丁二条下ル路次大村兵部大輔方旅寓」 9月4日長州藩文書
画像は「大村兵部大輔旅寓江致乱入候暴人吟味」の該当文書で、虫食いで読めない部分を「大村兵部大輔負傷事件」の記述で補った。
③「京都樵屋町大村兵部大輔旅宿」
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