2019-01-01から1年間の記事一覧

適塾の謎

先日たまたま適塾の前を通った。去年の大阪北部地震による災害復旧工事のため開館していなかった。適塾はいつもこのアングルからの撮影が多い。 思えば、ぼくと適塾との付き合いは長い。 半世紀前になるが、1970年に勤め始めた会社の本社近くに旧瓦町適塾が…

芝公園と人物

僕の中学・高校は芝公園の中にある。 住所はオランダ大使館や金地院と同じ3丁目。 隣の芝公園4丁目には、東京タワー、増上寺、芝東照宮などがあり、また都心で最大級の前方後円墳の芝丸山古墳などがある。これらは通学途中にあり遊び場だった。 芝公園のほ…

薩摩藩蔵屋敷跡

田町駅前の再開発 僕の住んでいた場所が大きく変わる。 報道によると、 三菱自動車本社があった第一田町ビルと隣の徳栄ビルの敷地に、高さ約150m、延べ約131,000㎡の超高層ビルが建設される。三菱地所設計が参画し、今年度に着工し、2022年度頃に完成する見…

三吉慎蔵のルーツは半島にあり?

平成13年(2001)、明仁上皇は68歳の誕生日記者会見において、翌年の日韓共催ワールドカップの開催にあたり関心事を聞かれ、天皇家は百済国と血縁関係があると発言をされた。 桓武天皇 「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されてい…

西村捨三をご存知ですか

僕が西村捨三に興味を持ったのは、「贈右大臣大久保公哀悼碑」の建立と京都時代祭がきっかけだった。 西村は、暗殺された大久保利通のため、遭難5年後から遭難の地に「贈右大臣大久保公哀悼碑」を建立せんと尽力し、明治21年(1888)5月に完成させる。 大久保…

同期の小田野展丈氏が侍従長に

最近のニュースには驚いた。 同期で同じクラブ(経済新人会金融研究部)に属していた小田野展丈氏が、新天皇の側近トップの宮内庁侍従長に任じられた。 もともと皇太子一家を支える東宮大夫だけれど、そのまま平行移動するようだ。大変な役目だけれど引き続…

松平健雄といちご

先日神戸に出かけたときのディナーがいちご尽くしだった。 いちごが今日食べられるようになったのには、松平容保の二男・松平健雄が関係している。 最初のいちごは、江戸時代末期にオランダ人によって長崎から日本にもたらされたので、オランダいちごと呼ば…

令和時代の行動計画

新元号の年にあたり、残りの人生の行動計画を夢想してみた。 1)執筆、2)先祖調査、3)健康、4)酒食、5)歩き、6)旅行、7)文化、8)経済など10の各分野ごとに、具体的な目標と実施項目とスケジュールなどを描いてみた。 たとえば、1)執筆、2)先祖調査…

幸若大夫の肖像画

拝見したい肖像画がある 15世紀後期の宮廷絵師を代表する土佐将監光信筆と伝わる、桃井直詮(もものい ただあきら)を描いた紙本著色桃井直詮像。 この肖像画は東京国立博物館所蔵で、1988年6月6日に重要文化財に指定された。 熟達した迫真的容貌描写が特徴…

和泉守兼定の「之定」

今日は天皇皇后両陛下が伊勢神宮に参られた。 外宮、内宮で退位の報告・儀式が執り行われたという。 伊勢神宮については思い出が多いが、中でも僕が伊勢神宮からみでいつも思い浮かぶのは、和泉守兼定だ。 生没年不詳で、「之定(のさだ)」の通称でも知られ…

開陽丸子孫の会の総会場所

開陽丸子孫の会の総会の案内が届いた。 例年、4月後半の開催が多いのだが、今年は改元記念の10連休もあり、6月に行われる。 ところで、その総会の開催場所は平河町のホテルルポール麹町だが、僕には懐かしい場所だ。 明治11年2月16日から明治17年10年9日…

ある写真の人物判定

ある写真の謎解きができた。 終戦後になるが祖父母の代のときに、近所の火事で家が類焼し祖父母と子供6人の一家が焼け出されたことがあった。 そして、子供たちが鎮火した火事場から写真の入った駕籠箱を見つけ、中から燃え残っていた写真を拾い出す。 どの…

『 幕末維新全殉難者名鑑 』

戊辰戦争の殉難者を調べるため、1986年に出版された『幕末維新全殉難者名鑑』を見てみた。 特に関心があるのは会津藩についてなのだが、縁者の松平勇雄が名鑑の推薦者にいるのに記載には間違いが散見される。 たとえば、 ●安積運次郎 名鑑に記載漏れ。鳥…

会津と咸臨丸

縁と云うのはおもしろいものだ 2015年6月に、黒谷金戒光明寺にて京都会津会主催で第110回の法要が行われた。 この時は110回の節目なので、わだかまりを解きたいとして長州関係者にも声をかけての大々的な法要だった。 その直会の席のことだが、僕の前に母娘…

夏目漱石の甥、夏目小一郎

昨日、咸臨丸子孫の会が原宿の東郷神社横のクラブ水交にて開催された。 懇親会のなかでAさんの紹介を受け、お話を聴くと先祖の方が一高で夏目漱石に教えを受けたとのこと。 そういえば僕の家系に漱石の甥がいたと話したのだが、名前が思い出せない。 歳はと…

本能寺と咸臨丸

先日、京都での日米修好通商条約勅許奉請の使節の史跡めぐりに参加した。 使節の正使・老中首座堀田正睦の宿舎は寺町の本能寺で、ここが朝廷との交渉の場だった。 通商条約関係でこの場所を訪ねたとき、実は因縁めいたものを感じたのだった。 本能寺を創建し…

岩倉村史跡巡り

昨日、大阪龍馬会主催の岩倉史跡探訪に参加して、左京区岩倉村を廻ってきた。岩倉具視には関心があり、なかなか得難い史跡めぐりだった。 最近、幕臣の京都での安政5年(1858)の通商条約勅許奉請の活動に興味があり、そのときの朝廷側の対応が気になっている…

笑点大喜利と帆船海王丸

僕の好きなものに、笑点の大喜利がある。 居並ぶ落語家の当意即妙の受け答えが面白い。 最近は昔の大喜利も火曜日に放映されるので毎回楽しみにしている。 今回の火曜日の放映は、驚いたことに2010年5月2日(日)の、初めて観る大喜利だった。 未見の…

通商条約勅許使節の史跡巡り

先日、京都にて史跡めぐりに参加してきた。 テーマは、日米修好通商条約の勅許を得るため、安政5年2月4日~4月5日まで滞京した幕臣たちの跡をたどること。 今回の史跡めぐりは、岩瀬忠震が宿泊した瑞泉寺での、有志による岩瀬忠震・橋本左内顕彰碑の建…

徳川慶喜の筆「誠」

先日、徳川慶喜の書いた「誠」の書が 広辞苑編者の新村出旧宅で発見されたと報道された。新村出の養父猛雄は慶喜に仕えていたため、新村家で受け継がれたと考えられる。 「誠」は、慶喜にとってはまことに身近な文字だったのではないだろうか (新村出記念財…

九州2日目 長崎

10/21朝、小曾根家を訪問し、貴重なお話を拝聴する。 その後、市内の幕末史跡をめぐり、また5年ぶりに先祖のオランダ通詞の今村家と楢崎家の墓地にも参る。 楢林鎮山 晩は開陽丸子孫の会の長崎旅行に合流し、料亭二見にて会食。 長崎での幕末史跡めぐりは2…

藤沢周平しのぶ会「寒梅忌」

庄内日報によると、20回を節目に終了するらしい。 鶴岡出身の作家・藤沢周平をしのぶ会「寒梅忌」が1月27日(日)、鶴岡市中央公民館市民ホールで開かれる。鶴岡藤沢周平文学愛好会(萬年慶一代表)が一般公開の顕彰事業として、藤沢さんの命日(1月26日)の…

歌舞伎町の思い出

事件や噂をよく耳にするが、僕にも懐かしい町だ。 写真は1960年2月撮影なので、僕の小学校6年3学期当時の風景 僕は父の都合で小学校は前橋で入学し、その後、川崎、下落合、川崎と何回も転校したのだけれど、 最後の学校は川崎の登戸だった。 ちょうど60年前…

適塾にて

昨日、適塾関係で調べものをした。 まず、大阪府立中之島図書館で資料を見て、適塾と、近くの除痘記念館を廻る。 天然痘(痘瘡)は、昔から人類に惨禍を齎したが、昭和55年(1980)にWHOが根絶を宣言した。それは、英のジェンナーが1796年に牛痘種痘法を開発…

梅原猛氏と 原三溪

梅原猛さんがお亡くなりになった。 小杉家の遠縁にあたる原三溪とは、若干関りがある。 小杉家と原三渓との縁は以下の通り。 小杉直吉は、慶応4年4月の江戸開城後、5月に徳川家の駿河国への移封に従い沼津に移り住む。のちに新政府に仕官し大審院判事、名古…

兼高かおるさんと 三吉友子

兼高かおるさんがお亡くなりになった。 「兼高かおる世界の旅」、僕の世代で知らない人はいないだろう。 心からお悔やみ申し上げます。 ところで、兼高さんは香蘭女学校出身で、黒柳徹子の先輩になる。 香蘭女学校は歴史が古く、僕にも懐かしい学校だ。 明治…

2019年の予定

明けましておめでとうございます。 昨年も良き出会いがあり多くの知人ができ喜んでいます。 皆様には大変お世話になりました. 今年もよろしくお願い致します。 今年は早いもので、趣味の世界に入り10年目になります。 趣味のひとつの先祖調査は、昨年大いに…